「端的に喋る」というのが苦手だ

Illustration by Igarashi Arisa

端的に喋る。というのが自分は苦手らしい。

文章だったら必要に応じて端的に書けるけれど、
口で喋るとどうしても冗長になりがちな傾向があるみたい。

いやこれまでも自覚はあったんだけど、
それが原因で壁にぶつかる場面があったので。改めて。

この傾向の根っこはどこにあるんだろうかと掘り起こしてみると、
たぶん十代を過ごした環境だろうと思う。特に高校時代だ。

知ってるひとには聞き飽きた話だと思うけれど、
僕が通っていた高校というのは良い意味で素晴らしく特殊で、
どう特殊なのかというと色んなひとが居た。

引きこもりも居ればなんかよく分かんない芸術家だって居たし、
ストリートファイターとか女優とか帰国子女、
所謂セクシャルマイノリティであったり、
愛国の士だとか宗教家だとかも、

挙げていったら枚挙に暇がないのだけどまさに人種の坩堝。
中学時代までの僕が出会ったこともなかったようなひとたちがとにかく多様に居て、
凄いところはそういう中でみんなが上手いこと共存共栄していたっていうあたり。
くたびれたチェックのシャツしか持ってないようなオタクとチャラいバンドマンが放課後に仲良くカラオケ行っていたり。
「出会う場所がここでなかったらきっと仲良くならなかっただろうな」という人間関係がとても沢山あった。

そういう環境に居ると必然的に、
「自分とはタイプの違う人間」とのコミュニケーションを取ることになるのだけど、
「自分と違うタイプの人間」というのは往々にして「自分とは違う常識」を持っているものだし、
逆に「自分の持っている常識」を持っていないということも日常茶飯事なわけだ。

なので「自分と違うタイプの人間」と話す場面においては、
先ず「相手がどういう常識を持ってるひとなのか分からない」というスタンスから入る必要が出てくる。

大抵の場合「同じ常識を持っている人間」との会話は端的に成り立つ。
例えば「イチローが昨日の試合でヒットを打った」という話題を伝える時、
「イチローは沢山ヒットを打つ凄い野球選手だ」という常識を相手が持っていれば、
「イチロー昨日も打ったね」というだけでだいたい分かってもらえる。

一方で「同じ常識を持っていない人間」に同じことを伝えようと考えたら、
「イチローという野球選手が居て…」というところから話し始めなければいけない場合もあるだろうし、
時には「そもそも野球というスポーツがあってね…」から始めなければいけないケースだってあるので、
そういう時にはどうしても話が長くなる。

そんでもって僕が通っていた高校みたいな、
「相手がどういう常識を持ってるひとなのか分からない」という環境では、
特に初対面の相手と対する時に後者の「同じ常識を持っていない(持っているとは限らない)人間」に対するスタンスが基本の形として身体に染み付くわけだ。

十代の期間をそういう環境で過ごしてきたことが、
今の自分の多くの部分を形作っていて、
その中のひとつとして「端的に話すのが苦手」という傾向があるんだろう。

でもそう考えると、これ基本的にはポジテイブな傾向だと思っていて、例えば「子どもには両親揃って居るのが当たり前」という常識を持って、母子家庭のひとに対して「お父さんどんなひと?」と話を振ってしまい意図せず傷つけてしまう、というような事故を割りと未然に防げる。
お互いが持つ常識の相違から起こる事故を未然に防いだり、「こいつはそういう事故を起こさないな」と認識してもらえることで、割りと幅広い相手と(時間は掛かるけど)良い関係を作れるし、深い話も喋ってもらいやすい。自分にとっては良い面の方が大きい。

うん。

とはいえ勿論、端的な伝達が求められる場面においては、端的な話が出来た方が良い。
両方出来た上で、必要に応じて使い分けられるに越したことはない。
具体的にはいま転職活動(助力求ム!)をしていて、その中で必要な技術だと痛感しているので、意識的にやってどうにかこうにか身に付けていければという感じ。



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