ぼくは勉強ができない

学歴とかについて。
Twitterでも書いたことをちょっとまとめて書く。
こらそこ手抜きとか言わない。

自分は大学を卒業しなかった。
24まで学生だったのだけど結局中退した。
卒業まで至らなかった理由はいろいろあるんだけど、
最大の要因はモノを書くことが楽しすぎて、
そればっかりやって過ごしてきたからだ。

なので最終学歴としては高卒なんだけど、
僕は別に高卒だということが自分の人生の足枷になったと感じたことはない。
本当に一度もない。

少なくとも中学生の頃、
周りの大人たちから言われていたような、
「十代のうちに勉強しないと将来すごく困る」
という事態は、現状僕の身には全然起こっていない。
いま勤めている会社にはそもそも履歴書すら提出していない。

僕自身が自分の経歴を問われて不利益を被ったり、
馬鹿にされたりということが全然なかったので、
世の中のひとたちが大人になって結構経ってからも、
「学生時代どこに所属してた~」ということを気にし続けてるのは、
なかなか不思議なことに思えてしまうんだけど、
単に自分が「学歴の問われる土俵」で相撲をとっていないというだけで、
問われるところではやっぱり問われてしまうんだろうかしら。

でもそれなら、
「学歴の問われる土俵」で戦いつつ、
「自分は学歴がないから勝てない」と嘆いているひとたちはさ、
何もわざわざ自分が不利になる土俵で戦わなくてもいいのに。
自分が持ってるモノで戦える土俵は必ずあるんだから、
そういうところで生きてくほうがよっぽど楽だと思う。

僕。もしもこの人生の2周目を生きられるとして、
「高校出てからその後しばらくチャランポランに生きるルート」と、
「普通に勉強してきちんとした学歴を狙いに行くルート」と、
どっちか好きな方選んでいいよ、と言われたとしてもだ。

たぶん僕の目には前者のほうが「手堅い選択肢」として映るだろうなって思う。
何故なら実際その生き方で上手くいってるから。
(前とは違うルートで遊びたい、という動機から違う選択をすることはあるかもしれないけど)

同年代の多くがまじめに勉強したり大学とかに通っていた頃に、
僕はまぁ、アリとキリギリスのキリギリスよろしく、
書いたり病んだり遊んだりして好き放題生きてきたんだけど、
そんな時間で出会ったひとたちとか、得てきたものたちが、
今の自分を確かに支えている。

(もちろん真面目に勉強してたひとを悪く言う気はない。
彼らは僕の出来なかったことをやって来たわけだからすごく尊敬してるし、
何か僕が困ることあったら助けて欲しいと思う。
その代わりに僕は僕の出来ることで恩返しするから)

少なくとも「どこに居たか」より「何を学んだか」の方がずっと重要だ。
これについてはまぁ間違いないだろうなってずっと思っている。

あしたの朝もきちんと起きねばならない
働きたくないよう。と、彼はわたしに甘えた声で言った。彼の職業は死神。主な業務内容はひとを死なせること。明日は月曜日だ。
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