骨と貝殻、マドレーヌ

 わたしの骨は貝殻でできています。だから何日かにいちど、夜中にひとりで砂浜を訪れ、身体を海に沈める習慣があります。骨が貝殻ではないひとと比較してわたしは、呼吸をすこし長いあいだ止めておくことができるし、水の中でも周囲をはっきり見渡すことができます。

 夏のはじめでした。わたしは川沿いの道を男のひととふたりで歩きました。川は海に近い、幅の広い川で、男のひとはわたしの恋人でした。歩きながら、男のひとはわたしの手を握りました。太陽の位置はまだ高かったのですが、部活帰りの高校生たちが自転車に乗ってわたしたちのすぐ横を通って行ったので、今は何時だろう? と、わたしは急に気になり、手首に巻いた時計を見たくなりました。けれど彼に手を握られていたから、それをすることが出来ず、ああ、ひとと手を繋ぐというのは、非常に不便なのだなと思いました。彼の手をそっと退けて腕時計の文字盤を確かめると、時間は、その前に確かめた時から十分ほどしか過ぎていなかったので、このひとと一緒にいる時は時間が経つのがずいぶん遅いのだなと、わたしは驚きました。

 ところでわたしはマドレーヌという食べ物が好きではありません。ケーキとかクッキー、シュークリームなど、ほかの洋菓子はおおむね好きなのですが、マドレーヌだけはどうしても、おいしい、と感じたことがいちどもないのです。ある日、知人にそのことを話すと、「こんなに美味しいものを食べられないなんて君は損をしている」と言われてしまいました。それまでマドレーヌなんか食べたいと思ったこともなかったので、びっくりしましたし、損をしているなんていわれるのは、正直、心外でした。でも確かに、周囲の、マドレーヌを好んで食べているひとたちというのは、みんな美味しい、美味しいと言いながらあれを口にしていて、表情も一様に華やいでいました

 そこでわたしは、こう考えました。マドレーヌをいちど食べてみよう。最初のうちは美味くないかもしれないけど、何度か我慢して食べているうちに、その美味しさが分かってくるかもしれない。そうして食べられるようになったら、わたしがそれまで感じることのなかった楽しさとか、新しい幸福が目の前にひらけて現れるかもしれない、って。でも、いざ、食べてみるとね、やっぱりダメでした。喉に詰まって、飲み込むことも上手くいかなくって。ああ、どうやってもわたしは、これを食べるのはちょっと無理だなって。

 わたしにとって、恋というのはそういうものかもしれない。

 恋はすごく良いものなんだよって、みなさん言いますよね。実際、恋をしているひとは、わたしから見ても楽しそうに見えます。誰かを強く想っているひとというのは、上手くいっていても、いっていなくても、気持ちを大きく、大きく動かすので、羨ましいほど活き活きして見えます。

 わたし自身が、そういうふうになったことは、残念ながらいちどもありません。いつかは誰かを好きになれるのかな? と、薄っすらとした期待は、一応持っていますが、今のところはまだ、それらしいことはまったく起こっていません。

 あるいは、こう考えることもあります。わたしは骨が貝殻でできているから、そうでないひとがみんな備えている、恋をする機能が、そもそも最初から備わっていないのかもしれない。もしもそうだとしたら、わたしにとって恋とは、翼をつかって空を飛びたいとか、太陽の光から養分を得たいだとか、そういったことと同じで、自分に備わっていない機能に対する憧れのようなものだ、ということになるでしょうか。

 川沿いの道を歩く足を止めて、だからわたしは、恋人だった男のひとに向けて、伝えました。あなたの恋人でいるのはやっぱり難しそうです。好きになろうと努力はしたのだけど、好きになれたらきっと楽しいはずだと思っていたんだけど、それでも無理そうなんです。あなたは少しも悪くはないのだけど、本当にごめんなさい。

 男のひとと別れた、その日の夜。わたしはいつものように、ひとりで砂浜を訪れ、自分の身体を海へと沈めました。浅瀬の白い砂の上では、細かく割れて散りばめられた無数の貝の破片が、揺れる海面から差し込んでくる月や星の明かりを受け、きらきらと光っていました。そういった景色を、海の温度に包まれながらぼんやり眺めていると、わたしは次第に落ち着き、まるで起きながら眠っているかのような、心地良い気分に浸ることができます。前述した、かつてわたしにマドレーヌを勧めてきた知人などは、そんなわたしの習慣について「理解できない」と口にするのですが、マドレーヌとか恋とか、彼らが知っているのとは違った方法を用いて、わたしはわたしを満たすこともできます。





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