恋するスーパーヒーロー

 ボクは正義の味方だ。
 そして恋をしている。

 ひとりの女性が居る。枯れ葉を落としたイチョウによって黄金色に染まった、自然公園のベンチに腰を下ろし、彼女は鞄から取り出した文庫本を黙々と読み進める。彼女はいつも夕方になるとこの場所に現れ、日が暮れるまで本を読んでから、どこかへ去っていく。だからボクは今日も、この場所でパトロールを中断して、後ろめたさを感じつつも少し離れた場所から、何をするでもなく彼女の姿を眺める。彼女はこの季節の肌寒さがよく似合う女性だ。手元の活字に向けられた視線は研がれた刃物のように鋭く澄んでいる。艷やかな黒い髪に時折指で触れる。ボクは彼女の名前も知らなければ、声も、職業も、好きな食べ物も、いずれも分からない。だけれどボクは彼女に恋をしている。ひとめ惚れをしたのだ。

 ボクは正義の味方だ。
 ひとびとの生活をおびやかす悪いやつらと戦い、やっつけるのがボクの主な仕事だ。なので普段から、屈強な暴漢や、武器を持ったテロリストはもちろん、別の星からの侵略者、怪人を擁する悪の組織といった、危険な連中に立ち向かわないといけない場面は多い。敵の中には強いやつも居るから、戦ったって勝てないことも珍しくはないし、下手な負け方をすれば死ぬことだってあるような仕事だ。だがそれでも、悪と戦うことをボクは、いちども怖いと感じたことがない。なぜならやつらとの戦いに挑めば、「さすが正義の味方」だとか「戦ってくれてありがとう」とか「なんて勇気のある男だろう」とか、そんな言葉を誰かがかならず掛けてくれるからだ。正義のために赴く戦いなら、誰かに望まれて挑む戦いなら、ボクは少しも怖いと思わない。

 ボクは恋をしている。
 この公園で目にするだけの、名前も知らないひとりの女性にボクは恋をしている。彼女のことをもっと知りたいし、できることなら仲良くなりたいと切に思っている。にもかかわらず、ボクは彼女に声を掛けられない。こうして少し離れた場所から、或いは物陰に隠れて、みじめにコソコソ眺めるだけしかできない。命を掛けて戦うことはまったく平気なのに、好きな女性にたったひとこと話し掛けることが、怖くてたまらない。彼女に嫌われたり、拒否されたり、不審がられることが、ビルを蹴散らす大怪獣よりずっと怖いのだ。

 もう、いっそのこと、と、ボクは妄想する。いっそのこと、次の瞬間、悪の組織の怪人どもが現れ、彼女のことを襲ってくれれば良いのに! そうすればボクは迷うことなく彼女のもとに走り、助けを求める彼女の叫びに応じて、正義の名において彼女に近づけるのに! 悪いやつらを蹴散らしたぼくに彼女はきっと感謝をするだろう。彼女のピンチを救ったボクのことをみんなが称えるだろう。それをキッカケにボクらはきっと仲良くなれるだろうし、ボクも胸を張って彼女と話せるはずだ。そうなれば。そうなってくれれば良いのに!
 だけどそこまで思い描いたところでボクは妄想をやめる。一転して自己嫌悪に陥る。ボクはなんて愚かなことを考えるんだろう。彼女が怪人に襲われれば良いだと? それは彼女が酷い目にあうのを望むことではないか。彼女を助けたい、いや、彼女に近づきたいという、ただボク自身の勝手な欲望のため、彼女の不幸を望むことではないか。こんなことは正義の味方が考えて良いことではない。想像するだけでさえ許されないことだ。

 その時だった。イチョウの木の陰から微かな物音が聞こえて、黒いスーツに身を包んだ男が姿を現した。あの男のことをボクは知っている。何度か仕事で戦ったこともある悪い怪人だ。地面を埋め尽くすイチョウの葉を踏みしめながら彼女の方へと怪人は歩いていく。
 怪人の姿を見て、ボクは反射的に怪人の方へ駆け出そうとしたが、その場に踏みとどまった。凶悪なはずの怪人がその手に、燃えるような真っ赤な花束を抱えていたからだ。彼女もまた、怪人の姿に気づくと、読んでいた本を閉じて、鞄の中に仕舞った。それから怪人は彼女の前で足を止めて、その場に膝をつき、持っていた花束を彼女に向けて差し出す。
 数分間。彼女と怪人は何か話をしていた。話を終えると彼女はベンチから立ち上がって、怪人に軽く頭を下げてから、その場を後にしていく。彼女は怪人の花束を受け取ることはなかった。渡せなかった花束を胸に抱えたまま怪人は、あたりが暗くなり、外灯が点くまで、その場に立ち尽くしていた。
 その様子をボクは、結局なにもすることなく、じっと見ていただけだ。

 ああ! 誰に求められるわけではなく、誰に許されるでもなく、誰に褒められるでもなく、自分の願いのために踏み出していく一歩は、なんと重たく勇気が要るのだろう。ボクは果たして明日からも、今日までと同じように、正義の味方のままでいられるだろうか。




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