母と、母の男、それから銃について

 三月十八日。母のことを書く。
 
 あと一時間ほどで私は二十歳になる。建設現場の仕事から帰宅した直後なので身体の疲れはあるが、十代を終える前に、何か人生を振り返った文章を書いておきたいと思ったので、こうしてパソコンを開いている。最後に電源を切ってから二ヶ月近くが経過していたせいか、パソコンが起動するまでにはずいぶん時間が掛かった。起動を待ちながら、私は舌のピアスを前歯にカツカツとぶつけて、何を書こうか? と思いを巡らせた。そして最初に頭に浮かんだのが、母の姿だった。ようやくパソコンが起動し、キーボードの上に両手を置いてみると、右手の甲に彫ったタトゥーの青い色が、やけに目立って見えた。自分の身体の一部ではあるが、綺麗な色だと思う。
 
 
 母のことだ。私の母は美しい女性だ。そして強い女性だ。若い頃には雑誌のモデルを務めていたという。モデルを辞めてからは地元で事業を興し、今もたくさんお店を持っている。父とは、私が生まれて間もなく離婚したのだけど、平均的な男性よりも何倍も多くのお金を稼いでいたので、経済的な苦労などとはいっさい縁がなかった。華々しく、力強く、誰にでも尊敬される女性。私の母はそんな人物だ。
 
 物心ついた頃。私はふたりの大人の一緒に暮らしていた。ひとりは母。そしてもうひとりは母の恋人だった。男は目付きが鋭く、母より背が高くて、おとぎ話などに登場する悪い狼に似ていた。仕事をしておらず、競馬やパチンコばかりをして、酒や煙草の匂いを常に纏っていた。そして男は私のことを、日常的に蹴ったり、殴ったり、投げ飛ばしたりした。別に怒りをぶつけられたり、八つ当たりなどをされたわけではない。たとえばそのへんの子どもが、サッカーボールを見て、これは蹴って遊ぶものだと理解するように、あの男は私を、そういうふうに痛めつけて遊ぶ玩具だと見なしていたのだろう。テレビを見てにやにや笑いながら、あるいは寝起きのため息まじりに、私の身体を蹴った。
 
 母は私を愛していたと思う。どんなに仕事が忙しい時でも朝食と夕食は手作りのものを用意してくれた。小学校の授業参観には必ず来てくれたし、宿題で分からない箇所があれば理解できるまで優しく教えてくれた。時には自分が経営する店に私を連れていき、可愛らしい洋服をたくさん与えてくれた。若い販売員から「社長に似ていますね」と声を掛けてもらうと、母が喜ぶので、私も嬉しかった。
 
 そう。母は私を確かに愛していた。それについては今もほとんど疑ってはいない。けれどそれ以上に、あの男のことを強く愛していた。私が転んで膝を擦りむいた時に慰めながら消毒液を塗ってくれた母は、私が熱を出した時に寝ずに枕元で看病してくれた母は、けれどあの男が、私を殴って遊ぶ時だけは、私を守らなかった。血が出ても、痣だらけになっても、まるで私が殴られる姿が、見えていないみたいに。
 
 母は多くのものを私に与えてくれたが、中でもいちばん嬉しかったのは、青い色をした玩具の猟銃だった。単三電池が入っており、引き金を引くとバリバリ音を鳴らす、プラスチック製の、安っぽい猟銃。なんでこんなものを? と母は不思議がり、首を傾げていたけど、私はどうしてもそれが欲しいとねだった。強くなるための武器を手に入れたかったのだ。銃さえ持っていれば、私はあの狼のような男に、負けることなく日々を過ごせるはずだと、子ども心にそう考えたのだ。たとえ殴られても、痣だらけにされても、私がその気になりさえすれば、いつでもあいつを撃って殺してやれる! そんな空想だけでも描ける小道具が、あの時の私には必要だったのだ。
 
 とはいえ銃は、当たり前だけれど、実際にはやっぱり、役には立たなかった。あの日は、母とあの男がふたりで出かける約束をしており、だから母は鏡台の前に座って、化粧を念入りにしていた。母の支度を待っているあいだ、男は片手で煙草を吸いながらもう片方の手で、私の身体を叩いたり抓ったりしていた。

 いつもならば、私は身体を亀のようにまるめて、ただ耐えながら暴力の終わりをじっと待っただろう。けどこの日は、母に貰った青い玩具の銃が、ちょうど手を伸ばせば、届く場所にあった。気づいたら私は、男に向けて銃を構え、プラスチック製の軽い引き金をぎゅっと引いていた。もちろん銃は玩具だったら、引き金を引いてもただ、バリバリッ、バリバリッと、安っぽい電子音が鳴り響くばかりで、ほん少しの反撃にもならなかった。

 それどころか、銃が放つ電子音は、男をただただ不機嫌にさせる効果ばかりがあった。男は私の手から銃をひったくって、床に叩きつけた。銃はグシャっと音を立てて壊れ、飛び出した単三電池が床を転がった。男はそれから吸っていた煙草を、私の右手の甲に、ぎゅっと押し付けた。蹴られるのとも、殴られるのとも違う、意識が焼ききれるような身体を駆け巡って、私は叫びを上げた。その声が聞こえていないはずなどなかったのに、母は男と出かけるための化粧を続けていた。
 
 母のことをどう思えば良いのか、私は分からなかった。狼に似たあの男についてならば、ある意味シンプルに考えることができた。私のような子どもが、悪い狼と一緒に過ごしていたら、襲われるのなんて当たり前だからだ。火に触ったら火傷をするとか、赤信号を渡れば怪我をするだとか、そういった摂理のうちのひとつとして、まだ理解することが可能だった。だが、母については違った。私のことを愛してくれているのに、なのに、なんで、あんな危ない狼なんかと同じ空間に、私を置くのだろう? 愛されていることが分かっていたからこそ、納得いく答えを見つけられずにいた。いっそのこと、ただ単純に憎むことができていたら、どんなに楽だっただろうか。

 いちど、母に直接尋ねたことがある。お母さんはどうしてあんなひとが好きなの? その時の、母の答えがこうだ。
「だってあのひとは、わたしが居ないと生きていけないのよ。だから手が掛かるけど、あなたも仲良くしてあげてね」
 十代の女の子みたいに、顔を赤らめながら話した、母のその姿が、私の目にはあの男以上に怖くて、おぞましいもののように映った。

 あの男が突然、家を出ていった時、私は小学校の五年生だった。出ていった理由を私は知らないし、どこに行ったのかも、今どうしているのかも、一切分からない。ただ、出ていく男に母が泣きつき、顔を涙でぐちゃぐちゃに濡らして、髪の毛を振り乱しながら引き留めようとしていた姿だけ、はっきり覚えている。
 
 あの男がいなくなった後も、世間の目に映る母の姿に大きな変化はなかった。相変わらず綺麗で、年齢を感じさせず、仕事もすこぶる精力的にこなしていた。親子ふたりの間柄も、特には変わらなかった。一緒に食事をして、日常会話を交わし、さそわれればふたりで出かけることもあった。あの男のことは、ただの一度も話題にあがらなかった。まるで、あんな男なんか、最初からここに存在していなかったみたいに。

 けれど私の右手の甲には、あの男に、煙草を押しつけられた時にできた、火傷の痕があった。私に残った火傷の跡に対して、母はあの男の暴力に対してそうしていたように、見て見ぬ振りを決め込み、そんな跡など存在していないかのように始終振る舞った。私はいつしか常にそこを絆創膏で覆い、母を含む、誰の目にも触れないよう、努めるようになった。

 中学生になると、同級生の多くは恋やお洒落に関心を持つようになり、中には化粧を覚え始める子もいた。母を知るひとからは、よく似ている、と言われることがますます多くなった。自分も将来、母のような女になっていくのだろうか? そう考えると酷く恐ろしくて、お洒落なもの、可愛いもの、女らしいものを敬遠する癖がついた。母が与えてくれる服やアクセサリーも、母と出かける以外の用事で身に着けることはなかった。自分が女になっていくのが嫌で、女子のことは避けた。自分が女に見られることが嫌で、男子の事も避けた。気付けばひとりで過ごすことが多くなっていた。

 私が高校受験を終えた直後に母は再婚した。再婚相手、つまり私にとっての継父には、連れ子がひとりいた。私の妹になった彼女は、大人から蹴られたり、殴られたり、投げ飛ばされたりせずに育った子どもだった。継父は母と同い年で、きちんと仕事をしており、他者に暴力など振るうことのない優しい男性だった。それでも一見何の問題も、非の打ち所もない、平和で当たり前の家庭が、あっという間に私の前に築き上げられていた。ただし私は相変わらず、手の甲の絆創膏を剥がすことなく暮らした。

 継父について母は「でも彼、ああ見えて、抜けているところがあるから、わたしがついていないとだめなのよ」と評している。

 継父はあの男のことを知っているのだろうか? 母から話を聞いているのだろうか? 分からない。これまで尋ねてみたことはないし、これから先も尋ねはしないだろう。母のことは好きだし、継父は良いひとだ。彼らにはずっと幸せでいてほしいし、私の口から不安要素を告げたいわけではない。だが、一方でやっぱり、ある部分では今でも、私は母を許すことができない。

 高校を卒業すると私は就職した。地元を離れてひとり暮らしを始めた。母や継父は大学進学を勧めてくれたのだが、少しでもでも早く自立をして、彼らの手を借りずに生きていきたい気持ちの方が勝った。自分を知っているひとが誰も居ない土地で、私は絆創膏を剥がし、火傷の痕を隠さず生活した。とはいえ頻繁に目にするようになると、それはそれで、私自身も昔のことを思い出して苦しくなったので、初任給が入るとタトゥースタジオを訪ねた。手の甲に青い猟銃の絵柄を彫ってもらい、火傷の痕を塗り潰してもらった。それ以来、手の甲に絆創膏は一度も貼っていない。
 
 タトゥーを彫ってから起きた変化のうちのひとつが、それに見合うファッションで身を包みたいと考えるようになったことだ。洋服やピアスや髪型などに対して、自分で稼いだお金を少しずつ使うようになった。もっとも、かつて母が私に与えてくれた可愛らしい洋服とは、ずいぶん方向性の違うものなのだが。それでもこの頃は、身を飾ることを少し楽しいと感じ始めている。

 昨年の夏にはじめて帰省をした際、私の右手にタトゥーを見つけた時の、母の表情をはっきり覚えている。あの母がほんの一瞬だが、目を丸くし、顔をひきつらせて、怯えたような表情を浮かべたのだ。それでも特に言及することはなく、「おかえり、久しぶりね」と言って、私を迎えてくれた。
 
  
 ――このへんにしておこう。いつのまにか、時間は午前の一時を回り、日付は三月十九日になり、私は二十歳の誕生日を迎えていた。書きはじめた時に考えていた文量より、ずいぶん長く書き連ねてしまった。手元に置いたスマートフォンには「二十歳おめでとう」と、母からのメッセージが届いている。節目の日に、きちんと文章にまとめてみることで、気持ちの整理もつくかもしれないと期待して書き始めたのだけど、まだもう少し時間が要るかもしれない。
 



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