青と稲妻

 

 空が光る。少し遅れて雷鳴が聞こえた。この中学の写真部には部員がわたしひとりだけしか居ない。だから部室は事実上わたしだけの個室だ。写真部らしい活動は特にしていない。今年度に入ってからというもの一眼レフには触ってすらいない。ホームルームが済んでから部活終了時刻になるまでの約一二〇分間をわたしは、自宅から持ち込んだコーヒーメーカーでコーヒを淹れたりイヤホンで海外の音楽を聴いたり、文庫本のページを捲ったりしながら静かに過ごしている。先生たちからもお咎めは受けない。どうせあと八ヶ月経てばこの中学は廃校になってしまう。春からわたしたちは隣町の中学校に移ることが既に決まっている。移った先では何の部活動にも入らないつもりだ。部室の窓からわたしは外に目を遣る。空には重たい雲が掛かっているが雨は降っていない。眼下に広がるグラウンドの白い砂の上では三人しか居ない陸上部員たちが来週予定されている夏の大会に向けて練習をしている。その中には彼の姿もある。
 
 先に好意を覚えたのはわたしの方だった。四月のはじめに転校生として彼はやって来た。もともと都会で暮らしていたが家庭の事情でこの町に越してきたのだという。彼は走り高跳びの選手として陸上部に入った。彼が細い身体をしならせて宙を舞う様子はアフリカの草原で暮らすガゼルの跳躍を彷彿とさせた。わたしはその姿かたちを美しいと感じてすぐに恋をした。恋をしてからというものわたしは毎日のように部室の窓から彼の跳躍を眺めて想いを募らせた。好意を伝えたのは彼が転校してきてから一ヶ月ほどが経った頃だった。わたしの好意を彼は喜んだ。彼もわたしのことを好きだと言ってくれた。その上でわたしたちは恋人同士になるべきだと彼は提案した。男女が好きあったら恋人同士になるのが当たり前なのだと彼はわたしに教えた。だからわたしたちは恋人同士としての交際を始めた。
 
 恋人同士になってからのわたしたちは登下校を共にするようになった。彼は毎朝わたしを家まで迎えに来てくれた。下校の際には校門の前でわたしを待っていた。彼はわたしと交際していることを周囲に隠さなかった。わたしの親は礼儀正しい彼のことをすぐに気に入った。クラスメートたちもわたしたちの関係に対して悪くは言わなかった。休みの日にはふたりで電車に乗り隣町にあるショッピングモールなどに出掛けた。ひと目のないところでキスも何度かした。わたしは先月で十四歳になったが、その時には誕生祝いとして子熊を模したキーホルダーを彼から贈られた。キーホルダーをわたしのカバンに取りつけながら彼は、女子に贈り物をするのは初めてだったので何を買えば良いか分からなかったのだが一生懸命選んだのだと照れ臭そうにいった。そして昨日の下校途中。夏の大会では絶対に良い記録を出すのだと彼はわたしに言った。わたしのために高く跳ぶからぜひ会場で応援して欲しいと。その言葉を聞かされてわたしはもう彼との関係をこれ以上続けることはできないと思った。大会の会場にもたぶん行かないだろう。
 
 彼と交際してみて気づいたことがある。愛にまつわることだ。十四歳の子どもに過ぎないわたしが愛なんて言葉を取り扱うのは不適切かもしれない。けれど他にしっくりとくる言葉を思いつくことも今のわたしにはできない。わたしが抱く愛というのは好きなひとやものが今のまま美しく存在して欲しいと祈る気持ちのことだ。わたしがこの手で彼らの何かを書き換えたいと願うことではないし、ましてや彼らを自分だけのものにしてしまいたいと思うことでもない。美しく跳躍するガゼルを見初めたからといって、それを地面に縛り付けて所有することをわたしは愛だと思うことが出来ない。けれど彼自身はわたしに所有されて書き換えられることを望んでいるのだろう。それと同じだけわたしのことを書き換えたいとも望んでいるのだろう。わたしと彼がそれぞれに抱く愛のかたちはこんなに違っていて、だからわたしたちが愛し合うという状態に至ることは不可能なのだと思う。
 
 空が光る。同時に聞こえた爆発のような雷鳴は空気を引き裂いた。部室の窓枠は細かくカタカタと震えた。それが合図だったかのように雨が激しく空から落ち始めた。眼下に広がるグラウンドの白い砂が濡れて黒く染め上げられるまで五秒と掛からなかった。練習をしていた陸上部員たちも屋根のある場所へと急いで引き上げる。部活終了時刻まではあと六十分あるがわたしは荷物をカバンに詰めて帰る支度を始めた。傘は持ってきていないがこの雨の中をひとりで濡れながら歩いたらきっとさぞかし気持ちが良いことだろう。

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