ラブリー・ラブリー・チョコレイト


 どこからともなくある日ふらりと街にやって来たチョコレイトという名前の赤毛の男の子はいつ見ても泣きそうな表情を浮かべていた。チョコレイトは一見何の変哲もない六歳か七歳ぐらいの子どものように見えたが、普通の子どもと違うところがあった。彼はその小さな身体の中で『幸せ』を作ること出来る子どもだったのだ。『幸せ』はチョコレイトの意思には関係なく身体の中で湧き水のように生まれた。なのでときどき手首を切って『幸せ』を外に抜いてやらなければ、彼の中で『幸せ』が充満して、まるで空気を入れ過ぎたカラー風船みたいに、張り裂けそうに苦しくなるのだという。

 チョコレイトは『幸せ』をみんなに分け与えた。彼の身体の中で生まれて、手首を切ったその傷口からどくどく溢れる『幸せ』を、街のみんなが欲しがるままに、いくらでも与えた。だからチョコレイトの周りには、彼が与える『幸せ』を欲しがるひとたちがいつもたくさん群がり彼を取り囲んだ。私もいちどだけ舐めてみたことがあるけど、とても甘くて、とろりとしたものだった。チョコレイトはいつも泣きそうな顔をした男の子だったが他のひとに『幸せ』を与える時にだけ笑った。笑っている時のチョコレイトは、泣きそうな顔をしている時よりもっと悲しく寂しそうだった。

 チョコレイトのおかげでみんなは幸せだった。それまでいつだって自分の不幸を嘆いてばかりいたひとも、息をするように不平を漏らしてばかりだったひとも、チョコレイトが街に来てからというもの、『幸せ』を貰ってみんな幸せになった。けれどみんなを幸せにすればするほど、チョコレイト自身はよりいっそう悲しそうな寂しそうな表情になっていくばかりだった。私はチョコレイトに尋ねた。あなたは『幸せ』を作っているのにどうしてそんなに酷く苦しそうなの。チョコレイトは答えず、黙ってやっぱり悲しく寂しそうに笑うばかりだった。チョコレイトの『幸せ』は他のひとを幸せにすることが出来るが彼自身を幸せにすることは決して出来なかった。

 チョコレイトはある日突然街から姿を消した。チョコレイトが居なくなると、彼に与えられる『幸せ』を欲しがり頼っていたひとたちはみんな一様に不満がり、あいつは俺たちのことを見捨てたんだと、彼のことを悪く言う者さえいた。だがそれから一週間が過ぎ二週間が過ぎるとそういう声もだんだん小さくなり、一ヶ月も経った頃になると、もうチョコレイトのことを話題に出すひとは誰も居なくなった。不幸だったひとは元通り不幸になり、不平を漏らしてばかりだったひとは前と同じように何にも文句を言うようになった。チョコレイトがこの街に来るより前とまるきり同じように。

 チョコレイトは今、私の家で静かに暮らしている。チョコレイトを家に置いておくことは難しいことではなかった。一日に少なくとも四回、朝起きた時と仕事に出かける前、帰宅した時と夜眠る前にそれぞれしっかり、心をこめてしっかり抱きしめてあげれば、それだけでチョコレイトは、もう私のもとから離れていこうとすることはなかった。ここに来てからというものチョコレイトには幾つか変化があった。それまで彼の身体の中で止めどなく生まれつづけていた『幸せ』が生まれないようになったが、けれどその代わりに年相応の子どもらしく楽しげな笑顔を見せてくれるようになった。そのうちふたりでどこか遠くへ行こうと、そういう約束をしている。
 

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