わたしが醜く悪い子になったら

 帰りのホームルームを終えて教室を後にし電車に乗って彼氏の家へ向かっていたわたしは途中でふと思い立ってぜんぜん違う方面へ行く路線に乗り換えるとスマートフォンにイヤホンを接続し音楽を流し始め五曲目を聞き終えた時点で降車しようと決めた。そうしてたどり着いた知らない駅で改札を通った。ICカードにチャージしておいた金額が数百円減った。音楽を消してスマートフォンを鞄の中に仕舞った。

 改札の外は日が暮れており少し肌寒かった。わたしはどこを目指すわけでもなくふらふらと歩いた。駅の傍には二階建てのスーパーマーケットや居酒屋やコンビニなどがありそこそこ賑わっていた。そこからすこし離れると古びた商店街があり閉店後のブティックの暗いショーウィンドーには虫けらのように痩せた手足を持つ制服姿の私の姿がうっすらと映った。

 さらに歩くと交通量の多い道路にぶつかった。そのタイミングで雨が振り始めた。近くにあったファミリーレストランに入店してパンケーキプレートを注文した。注文が済むと鞄の中からスマートフォンを取り出して通知を確認した。今日会うはずだった彼氏からのメッセージが数件届いていた。わたしはその内容を読むことはなくスマートフォンを鞄の中に戻した。
 
 
 お父さんはわたしのことを良い子だと思っている。勤勉で学ぶことが好きな子どもだと思っている。約束は守り嘘をつかない誠実な子どもだと思っている。恋愛やセックスなんかには興味も感心も持たない清純な子どもだと思っている。親が与える価値観や思想を何の疑問を抱くことなく受け容れる素直な子どもだと思っている。自分の娘がそういうふうな良い子であって欲しいとお父さんは願い続けており、その願いが叶えられていると信じて疑わない。もちろん実際のわたしはちっとも良い子などではないのだけど、お父さんの目につくところでは結構な無理をして良い子を演じている。
  
 わたしが彼氏を作ったのは良い子ではなくなる時間をお父さんの目に触れない形で持ちたかったからだ。わたしは顔も頭もそこまで悪いわけではなく何より若いのでひとたび彼氏を作ろうと決めれば同じ県内の大学に通うひとの良さそうな年上の男性とSNSで知り合って好きになってもらうなんて造作もないことだった。

 交際を始めてからというものわたしは学校の図書館で勉強をするから帰りが遅くなるなどとお父さんに嘘をついてたびたび彼氏と遊んだ。セックスだって覚えた。あの可哀想なお父さんは自分の娘がこんなふしだらなことをしているなんて夢にも思うまい! 彼氏とセックスをしながらそんなふうに考えると自分が自由になっているような気分を味わうことができた。彼氏はわたしの痩せた身体が好みなのだという。

 でも最近のわたしは彼氏に会うことを徐々に負担だと感じ始めている。なぜなら彼氏はわたしのことを恋に盲目な女の子だと思っているからだ。自分のことをものすごく好いている女の子だと思っているからだ。年上の男性だというだけで対して憧れや尊敬を抱くような女の子だと思っているからだ。性に対する好奇心が強く恋人にされることであれば何でも喜んで受け容れるような女の子だと思っているからだ。自分の彼女がそういう女の子であって欲しいと願っているからだ。

 もちろん実際の私はそこまで彼にとって都合の良い愚かな女の子じゃない。にもかかわらず交際を続けていくうちにいつの間にか、やっぱり無理をしながら、彼が望んでいる通りの女の子を演じてしまっている自分にも気づいた。お父さんの理想を演じ続けるのが嫌で彼氏を作ったのに。気がつけば彼氏の理想を演じてしまっていた。結局わたしは側にいるひとの勝手な希望に応じて何かを演じずにはいられないのだろうか? そんな自分が酷く腹立たしかった。
 
 
 注文したパンケーキプレートが運ばれてきた時には外から聞こえてくる雨音が強くなっていた。これは朝まで止まないかもねと隣の席の老夫婦が話しているのを聞いた。パンケーキの上には脳がとろけそうなほどの量の生クリームが乗っておりメニュー表の表記によるとカロリーは七百キロを優に超えている。むこう数日は甘いものを我慢しなければいけないなと思いながら口に運んだがその価値があるほど美味しいわけでもなかった。あるいはこれを毎日食べてぶくぶくに太ったら彼氏はわたしに何と言うだろうかとわたしは考えた。幾通りかの想像をしてから、もう彼氏には会いたくないと思った。

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