気持ち良い自傷と胸に息づくトカゲ

 赤青ピンクの光の粒がまるで群れ成す蛍のようにあちらこちらをゆらゆらふわふわ漂う。かすかに冷たい秋風が吹き枯れて乾いた草の匂いがあたりをつつみこむ。川のほとりで弦楽器を弾き異国の言葉で唄う男がいる。少しかすれたその歌声に手拍子を送るお酒に酔ったひとたち。木陰でキスをし互いの身体をまさぐり合う若い男女の姿。人間なんかに見向きもしない神様に向け願い事を唱え続ける老人。わたしがここを訪れるのは十数年ぶりだが鼓膜に届くあらゆる音が息苦しいほど懐かしいく今日ここで初めて目にするものはなにもないとさえ感じる。
 

 十数年前この場所でわたしはあのひとに出会った。その時あのひとは名乗ることもなく自分の身体はトカゲが住んでいるだけぼそぼそした声で喋った。見てみるかと訊ねられたのでわたしは首を縦に振りベッドのある場所で互いの服を脱がした。あばらの浮いたあのひとの身体は陶器を思わす白色でとても美しかった。その胸元には五センチほどの赤いトカゲが居た。トカゲはまるで痣か刺青のようだったが確かに動いており時にはあのひとの皮膚の上を這いまわりさえした。指を伸ばしてトカゲの頭に触れた瞬間わたしは心の半分をあのひとに渡した。名前も素性も知らないままで毎晩ごとに落ち合いそのたび情を交わした。味も温度も質感も痺れもすべて覚えている。
 
 だがあのひとはとつぜん姿を消した。同じベッドで一糸まとわず眠りに落ちたが目覚めた時には居なくなっていた。シーツの上にはただぬくもりの名残があるばかりで触れるものは残っていなかった。身体を起こし裸のままで鏡の前に立つとわたしの胸には紫色のトカゲが存在していた。あのひとの胸に住んでいたものよりも一回りほど小さなトカゲだった。以来あのひとは現れなかったがわたしのこころの半分は渡したままだった。皮膚に息づく薄っぺらなトカゲはわたしがこころの残り半分を傷めるほど赤く大きくなった。安らぎや喜びを得た時には青く小さくなった。
 
 その後もわたしは毎晩この場所を訪ね続けたが二度とあのひとと再会することはなかった。ときおり異性がわたしに声を掛けた。何をしているのかと訊かれると私は決まって身体にトカゲを住まわせているひとを待っているのだと答えた。その上であなたはどうだと異性に問いかけた。首を縦に振る異性は約半数ほどいた。そのたびにわたしはベッドのある場所に連れて行き服を脱がせあって真偽を確かめたが本当にトカゲを宿している異性はあのひとの他にひとりもいなかった。あのひとではない嘘つきの異性がくる日もくる日もわたしの身体に触れた。
 
 あのひと以外の身体に触れればわたしの皮膚に息づくトカゲは赤く大きく成長していった。その都度わたしは自分が傷つき汚れていくことを実感しもうあのひとには会えないのだと思い知らされた。そうした日々は酷く苦痛だったがわたしはみずから傷つくことを選択し続けた。何故ならあのひととの再会は叶わないのだと失意に沈む時間は、頭の中をあのひとのことで満たせる時間でもあったからだ。より幸せに過ごすためにはもちろん苦痛を積極的に取り入れるべきではなかった。安らぎや喜びをたくさん取り入れトカゲを青く小さくするべきだった。だけどあの頃のわたしはあのひととへの思いに終止符を打った上で幸せになることより、たとえ不幸でもあのひとのだけを思って過ごすことを強く望んでいたのだ。
 
 
 緑や黄色の光の粒が絶えず音も立てず粉雪のように優しく降り続ける。不意に強い秋風が地面を舐めて吹けばこの地を拠点に活動している劇団のビラが宙をひらひら泳ぐ。つい先程まで歌を唄っていた異国の男はいつの間にかずいぶんと大勢に囲まれお酒をあおっている。声を殺して木陰で抱き合う男女の影が地面に伸びては縮む。誰かに届くことはなくとも願うことをやめない老人の姿がある。「ここは不思議なところだねえ」と、わたしの隣に立つパートナーはぽつんと呟いた。あのひととの別れから十数年が経ちこの身体はもうトカゲを宿していない。当時の自分はこんな形を望んでいなかったが、いまの私は幸せなのだと思う。


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