あした世界が沈むとしても


 
 満員電車が駅にたどり着く。本来の終点より三つ手前の駅だが乗客全員がここで電車を降りる。決して大きな駅ではないのでホームは非常に混む。電車は下り方向に向かう僅かな乗客を乗せ折返し出発する。私は人混みに流されながらなんとか改札を通り抜ける。改札前の広場は、バスに乗り換えるひと、タクシーを待つひと、ボート乗り場に向かうひとなどでやはり混んでいる。セミやカモメの鳴き声が聞こえる。会社に向けて私は歩き出す。
 
 風が強く吹いて海の匂いを運ぶ。私は歩きながらイヤホンを耳に嵌めて音楽を再生する。十年前に発表された男性アイドルの楽曲。あの隕石が落ちてきてから半年ほどが経つ。隕石によって世界中の海面は一斉に上昇し私が通勤に使っていた線路の一部も水没してしまった。だから今では毎朝すこし早い時間に家を出発し一駅分の距離を歩くことを余儀なくされている。私は音楽を止めてイヤホンを外した。今朝の気分に合う楽曲ではなかった。
 
 寄せては返す波の音が聞こえる。二階部分まで海に浸かったビルのガラス窓が夏の日差しを受けてきらきら光っている。この景色には音楽が似合うはずだと私は毎朝思う。だから通勤のたびに違う楽曲をイヤホンで流している。けれどしっくり来る楽曲はなかなか見つからない。いっそのこと自分で演奏するのが良いのかもしれない。ウクレレか何かを掻き鳴らして歩いてみたらきっと素敵だろう。だけれど私は楽器をろくにやったことがない。
 

 
 サキコと私のあいだには決まりごとがある。毎月第四土曜日の午後三時に母校の傍のカフェで待ち合わせ一ヶ月の出来事を報告しあうという決まりだ。先月も私たちはその決まりどおりに落ち合って店の新作だというパフェを分け合いながら一時間ほど喋った。その時サキコは大学時代から交際していた恋人と別れたことについて話していた。結婚も視野に入れていた相手だったが仕事をめぐる価値観に埋められない隔たりを感じたのだという。
 
 サキコは映像作家だ。私たちは中学から高校時代にかけて同級生だった。母校はそこそこ偏差値の高い大学の付属校。私を含む多くの同級生は内部進学で大学に進学した。だがサキコは高三の時に突然「映像作家になる」と宣言し内部進学せずに美術大学を受験。現役では不合格だったが浪人期間を経た二度目の受験で合格した。そして昨年サキコは在学中の映像作品で大きな賞を受賞。才能豊かな若手としてテレビなどにも映るようになった。
 
 正直なところ私はサキコに苦手意識がある。私は小学生の頃に親の勧めに従う形で中学受験をした。受験に成功し付属校に入学した後はエスカレーター式に大学まで進学。サキコのように自らやりたいことを見つけたりそのために努力をした経験などがないのだ。だから私はサキコと対峙するたびに引け目を感じてしまう。それでもサキコが浪人していた時期から私は毎月決まった日時に彼女と会ってしまう。それだけサキコが魅力的だからだ。
 

 
 冷房の効いたオフィスでキーボードを叩く。社会人二年目の私は去年の今頃と比べれば出来ることも任されることもずいぶん多くなった。誰の機嫌を取り誰を出し抜いて誰を切り捨てれば会社の利益や自分の評価に繋がるのかが理解できてきた。そういうことに次第と慣れていく。けれど一方で慣れていく自分に少なくない違和感も感じる。先日酒席で上司にそのことを話したら「でも仕事ってそういうもんでしょう?」と素っ気なく言われた。
 
 昼休みに社員食堂の窓から外の様子を眺めた。近隣は高層ビルが建ち並ぶオフィス街で本来ならこの時間には昼食を求める会社員たちが数多く行き交う。だが今ではもともと見えていた地面の三分の一ほどが水に浸かってしまった。歩くひとも少ない。海面の上昇は今も世界中で続いている。大勢のひとが家を失った。最終的にどこまで上昇するのかは誰にもわからない。まもなく昼休みが終わる。席に戻り仕事の続きをやらなければいけない。
 
 午後の会議では月毎の目標数値を達成できなかった同期が虫のように叱咤されていた。私は入社時から彼を知っている。家族思いで狡いことのできない優しい人物だ。そんな人物が責められているのを見て胸が痛くなる。一方で成果を出せなかったのだから当然と思う自分もいる。私自身は六ヶ月続けて目標数値を達成した。達成のため誰かに対し作り笑顔で不誠実な言葉を吐いた場面は何度あっただろうか。上司は私に「成長したな」と言う。
 

 
 先月第四土曜日。「仕事はどう」とサキコに尋ねられた。順調だと私は嘘を吐いた。実際には彼女を前に私の中の疑問はより大きく膨らんだ。今の職場で働き続けるべきだろうかという疑問だ。今の職場で自分に起こる変化。上司が「成長」と呼称した変化。それは私にとって望ましいものではない。望ましくない変化が大きくなる前に転職などを考えるべきなのかもしれない。だが自分の居場所を選んだことのない私にそれができるだろうか。
 
 映像作家になるとサキコが宣言した時。自分で決めた道に堂々と踏み出していく姿に私は憧れた。だが当初のそれは人間が空を往く鳥を見て抱くような感情に過ぎなかった。私自身はエスカレーター制の進学に迷いを感じなかった。就職活動の時でさえ周囲に足並みを合わせただけだ。用意された道を不満なく歩けるのが私という人物だと思っていた。けれどそれは間違いだったかもしれない。サキコのことを今ほど羨ましく思ったことはない。
 
 いつものカフェでサキコは普段チーズケーキを頼む。だが店が新作デザートを出している時はそれを必ず食べる。前回はパンケーキを口に運んでいた。チーズケーキを食べれば確実に美味しいのにどうしてわざわざ未知のものを? と私は質問した。彼女はすぐに答える。「不味ければ次からは食べるべきじゃないと理解できる。美味しくても不味くても食べずにいたらずっと気にしてしまう。それでは折角のチーズケーキも楽しめないでしょう」

 仕事を終えて帰宅する際も通勤時と同じように海に沈んだ町を眺めながら一駅分の距離を歩かなければいけない。自宅にたどり着くと扉の前にダンボールが置かれていた。先日通信販売で注文した荷物だった。家の中に運び込んで開封すると中には新品のウクレレが入っていた。「初心者のためのウクレレ」と銘打たれた教本も同梱されている。はじめて自分で購入した楽器を私は腕に抱いた。弦をはじけばポロンと柔らかい音が室内に溢れた。

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