天国を探して-第2話

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「今から帰る」というメールが届いてから既に一時間以上が経過しているけど夫は未だに家に辿り着かない。夕飯の支度を終えてテレビの電源を点けると携帯電話のコマーシャルがブラウン管に映った。携帯電話をひとり一台持つ時代になったというだけでも未だに信じられないのに最新機種にはカメラ機能までついているのだという。わたしはテーブルの上に置いた自分の携帯電話を手に取り、今どこに居るの、と夫にメールを送った。あのひとに限って不倫なんかはしていないと思うが何らかの事故に巻き込まれていたらどうしようと懸念が頭を過る。携帯電話を持つようになってからというものほんの少し連絡が取れなくなるだけでも酷く不安を感じるようになった。

 今日に限らず夫の帰りをひとりで待つ時間、わたしはたびたびアサクラくんのことを思い出してしまう。アサクラくんは数年前にわたしが結婚するまで勤めていた幼稚園で受け持った園児だった。クラスでいちばん背が高かく棒っきれみたいに痩せた身体つきをしており、男の子にしては珍しく外で遊ぶよりは教室の隅で絵本を読んだり絵を描いたりすることを好む子どもだった。読書の量が多いせいなのか周囲の園児よりも読み書きが得意で自分の名前を漢字で書くことも出来たけれど、一方で口数は少なく、友だちもあまり居ない様子だった。普段はおとなしかったが、些細なことで感情を爆発させて他の園児と取っ組み合いや殴り合いの喧嘩になり、相手に怪我を負わせてしまうという出来事も何度か起こしていた。
 今日は『すてきなものさがし』をやりましょうね。と、秋のある晴れた日にわたしは、自分が受け持つクラスの子どもたちに伝えた。『すてきなものさがし』とはその名前の通り、園児ひとりひとりが自分が素敵だなと思うものを幼稚園の敷地内から探し出して、それを持ち寄り、見せ合うという遊びだ。
 はじめ! とわたしが号令を掛けると、園児たちは散り散りに駆け出して素敵なものを探し始めたけど、ただひとりアサクラくんだけは、なかなかその場から動き出さなかった。どうしたのかとわたしが尋ねたら「素敵なものって何? 分からない。教えて欲しい」とアサクラくんは言った。わたしは彼の小さな頭を軽く撫でてから、あなたが良いなと思うものを持っていらっしゃいと伝えた。
 それから約十分後にアサクラくんが持ってきたものを見てわたしは言葉をなくした。他の子どもたちは、赤く色づいた落ち葉や、松ぼっくり、折り紙で折った鶴などを持って来ていたが、アサクラくんが持ってきたのは砂場遊びに使う大きなポリバケツで、その中には、干からびた虫の死骸やスチール製の空き缶、彼がいつも教室で読んでいた絵本、園庭に植えられた花、銀色のクリップ、その他にもたくさん、様々なものが無秩序に詰まっており、その中には、画鋲やガラスなどの危険物や、他の園児の名札や園長先生の印鑑、何かの鍵など、どういうやり方で手に入れたのか分からないようなものも混じっていた。
「ねえ先生」
 わたしが口にするべき言葉を見つけられずにいると、アサクラくんは言った。
「素敵なもの、この中にある? 探したけどわからなかった。分からなかったからぜんぶ持ってきた。素敵なもの、ちゃんとこの中にある?」
 悲しそうな。今にも泣き出しそうな。縋るような声で。

 ガチャンとドアが開く音が聞こえるとわたしは反射的に椅子から立ち上がり玄関に向った。そこに立っていたスーツ姿の夫は、右の手にビジネスバッグを持ち、左の手には白いケーキの箱があった。なんでも駅前に新しいケーキ店がオープンしているのを帰宅途中に見つけたので買って帰ることに決めたものの、オープン直後というだけあって長い行列が出来ており思いのほか時間が掛かってしまったのだろいう。帰りが遅くて心配していたしメールを送ったのだからちゃんと返事をしてよとわたしが小言を言うと、ごめんごめんと空返事をしながら夫はケーキの箱をわたしに手渡した。わたしは溜息を付き、それから少し笑い、素敵なものがここにあるということをきちんと確かめながら、箱を受け取った。

この作品は、昨年10月~11月にかけて、アパートメントさんで連載させていただいたものです。

第3話へ続く>
 

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