箱の子ども 

 雨が降っていた。私は傘を持ちあなたを迎えに出掛けた。雨は好きではない。ジーンズを穿き、薄い上着を羽織って、あなたを迎えに出掛けた。癖の強い前髪が額に纏わりついた。雨は強く家から十分も歩くとズボンの裾には撥ねた泥で黒い点が幾つも付いてしまった。駅の近くまで来ると大勢で喋りながら歩いてくる女子高生のグループとすれ違った。彼女たちは笑っており笑い声というのが私は苦手だった。自分とは関係のない集団の笑い声が特に苦手だった。自分が笑われているような気がしたからだ。すれ違った時、私は動悸がしていた。改札を出たところであなたは待っており雨の降る空をぼぅっと見上げていた。あなたは時間を持て余した時に用もなく携帯電話を弄るようなひとではなくそういうところが好きだ。私が傘を差しだす。「ありがとう」とあなたは言って笑った。ふたりでひとつの傘をさすような非効率な真似もあなたは好きではないので私たちは傘をふたつ並べて広げて歩いた。コンビニの屋根の下で前に先ほどすれちがった女子高生たちがたむろして笑っていたが今度は動悸がすることはなかった。

 あなたと並んで帰る途中の道で箱に入った子どもをひとり見つけた。箱は百五十センチ四方ほどの大きな段ボール箱で、窓のように切り抜かれた小さな四角い穴があった。その穴の中から子どもが覗いていた。十歳前後の子どもで神経質そうに口を結んでこちらの様子を見ていた。青いつなぎを着ており男の子なのか女の子なのかは判別がつかなかった。あなたは子どもの方をじっと見つめており私は目を逸らした。子どもを見たままあなたは立ち止った。段ボールの箱は雨に濡れて形が歪んでいた。私はあなたのワイシャツの袖を掴みぐいっと強く引いた。あなたは私と子どもの顔を見比べ困った顔をしていた。私は構わずあなたの腕を引いて帰った。ふたりでふたつの傘を差しながらあなたの手を引いて歩いた。帰りついた時には私もあなたもすっかりびしょ濡れだった

(箱の中での暮らしはすることが少なかった。箱の中での暮らしは出来ることも少ないがしなければいけないことも少なかったので総じて気が楽だった。箱の中ではいつも積み木をしていた。大きさの違う幾つもの積み木を組み合わせて町を作っていた。箱の中は決して広くはなかったが、誰にも会わずにひとりきりで居る分には充分だったし、積み木の町を造るにも足りるだけのスペースはあった。積み木を使いビルや塔を建て町を造っていった。四角く切り抜いた窓からは風が吹き込んできたがほんの少しの風でも積み木の建造物はぼろりと崩れてしまった。四角い窓をガムテープで塞ぐと少し暗くなったが、風が吹き込むことはなくなり町を造るのはだいぶ楽になった。箱の中でひとりで暮らしていた。積み木の町は最初に作り始めてから半年ほどの時間を経て完成したがそこに住んでいるのは私だけだということに気付いた。完成した街を私は自分で崩した。腕を振り回し足をばたつかせると半年かけて出来上がった積み木の町はガラガラと音を立てて崩れた)

「さっきの子どもは可哀想だったね」家に帰ってシャワーを浴び髪を乾かすとあなたは私に言った。「あんな小さな箱の中からこちらを覗いていたよ。声もかけずに帰ってきてしまったけど何かしてあげれば良かった。家に連れて帰って、せめて雨が上がるまででも家に上げてあげるべきだったんじゃないかな」あなたはそう言うがあの子どもを見た時から、私はずっと気分が芳しくない。私、ああいう子は嫌い。「子どもを嫌っちゃだめだよ。子どもは悪いもんじゃないんだ」悪いものよ、ああいう子どもは大概悪いものよ。「君は冷たいんだね」あなたは私に失望の色を覗かす。だが私はああいう子どもが嫌いで、あなたに何を言われたところで残念ながらそれは変わりそうになかった。何もわかっていないのはむしろあなたの方だと反論したかったが、私は言わなかった。

(箱の中での暮らしはすることが少なかったのでひとつのことに夢中になると他のものはだいたいどうでも良かった。半年かけて作り上げた積み木の町をたった一晩で跡形もなく崩した。町を崩すと箱の底面は積み木で充満し足の踏み場はなかった。町を崩している間に甲高い叫び声が聞こえた。どこかで聞いたことのある声だったが思い出せなかった。積み木の角に肘を引っ掛けて切り傷を作った。積み木に血の滲みが付いてしまったのは分かった。町を崩し終えても叫び声は止むことがなかった。誰の声なのか私は思い出そうとした。身体を少し動かすと崩れた積み木はがらりと音を鳴らした。叫び声は自分の声なのだということに気付いた。箱の中には自分の他に誰もいないからだ。ガムテープで閉じた四角い窓を私は強く脚を蹴りだし破った。箱を壊して破った。そうして私は箱の中から出た。箱の中で暮らしている子どもが外に出るにはそういうやり方しかないのだ。それを私は自分が箱から出た時に覚えた)

 夜になっても雨は止まなかった。あなたが寝静まってから私は傘を差してひとりで外に出かけた。昼間見たのと同じ場所に子どもの箱はあった。子どもはまだ眠ってはおらず四角く切り取った窓からじっと外を見ている。私に気付くと私に視線を合わせた。私は今度は視線を合わせはしない。この子どもは私がかつてしていたようにガムテープで窓を塞いだりしていない分まだ救いがあるように思えたし、そう思いたかった。段ボールの箱は水を吸い今にも崩れそうだ。誰かに拾ってほしいの? と私は子どもに尋ねた。子どもは何も答えなかったがその表情には少しの怯えが浮かんだ。私は拾わないわ。あなたのような子どもが私は嫌いだから私は拾わないわ。拾われたところで半年も経たないうちにあなたは追い出されてまた箱の子どもに戻るわ。箱を壊さなければ箱の子どもはいつまでも箱の子どもなのよ。私の目の前で子どもは怯えた顔をしていた。私は差していた傘を開いたまま足元に置き、踵を返して帰った。

 

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