妙な喩えだけど、たとえば「なんかサッパリした麺類を食べたい気持ち」の時、もしもあなたが、塩ラーメンと豚骨ラーメン以外の麺類を一切知らない状態だった場合、その時点でのあなたにとって理想の麺というのは、塩ラーメン、ということになると思うのね。
だけどもしも、塩ラーメン、豚骨ラーメンの他に、お蕎麦も食べたことがあったら、その場合はやっぱり、お蕎麦が理想の麺として見出されると思う。
ヒトが思い描ける理想というやつは、あくまでその時点での自分が知っている範囲内のもの、見えている範囲内のものに過ぎない。理想はかならずしも最善であるとは限らないのよね。
もっというと、お蕎麦を食べたことない時。生まれてはじめて見るお蕎麦が「サッパリした麺であるか、そうでないか」を判断する方法は、基本的には実際に食べて確かめるしかない。
前置きが長くなったけれど、その、以前付き合っていたヒトというのは、たぶん現在のあなたにとって「理想の相手」ということなんだと思う。
で、今あなたが付き合っているひとはきっと、従来のあなたにとって「理想の相手」ではないかもしれないけど、時間をかけて食べてみると、実はそっちの方が最善に近いかもしれない。
仮にダメだとしても「自分にとっての最善はこういうタイプではないのだなという情報は得ることができるし、その情報は更にその次の交際相手を選ぶ時の役に立つわけだから、もちろん無駄にならない。
要するにどっちに転んだって何かしら得るものはあるので、気楽に楽しんだらいいんじゃないかなあ。
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