マリオ・カービィと「勝ち組・負け組」の話

何日か前にしたツイートの清書のようなものを。

先日Twitterで「人生は配られたカードで勝負するしかない。とはいえ配られたカードがロイヤルストレートフラッシュみたいな人を見るとやっぱり嫉妬するよね」という旨のツイートを目にした。

なるほど確かに。たとえばスポーツの分野で「生まれつき身体能力が高いひと」に勝つことは困難だし、どんなにお洒落が上手くなっても「生まれつきモテる容姿のひと」よりもモテるのは難しい。

「たまたま実家が裕福だった子」とそうでない子では、教育に投資してもらえる金額やセーフティネットの強さもずいぶん違ってくるから、結果的に前者の方が、裕福な大人になり易いっていうのも事実かなと思う。

とはいえそういうのは、「勝てるか負けるか」「モテるかモテないか」「金持ちか貧乏か」みたいな、「優劣」のモノサシで測れる物事を測る時の有利でしかないなぁとも思う。

もう一段階掘り下げをてみた時、「優劣」の「優」が多い人生は、「劣」が多い人生と比べて、果たして本当に良い人生だと言い切れるんだろうか?

僕は小説を書くので、ひとの人生についてお話を聞く時でも、物語として捉えることが多い。
で、物語としての面白さというのは、必ずしも「優劣」の「優」の多さには比例しないのよね。

「主人公が最初から最強でずっと勝ってるけどつまんない物語」と、
「主人公は弱くてたまにしか勝てないけど面白い物語」と、
物語としてどっちが楽しく、どっちがよく読まれるのかというと、たぶん後者なのかなと思う。

(主人公の強さが人生の面白さと比例しないというだけで、強くて無敵の主人公だと詰まらない、っていってるわけじゃないよ。ジョジョ3部とかはすごく好き)

「優劣」の「優」の数を比べるより、自分の物語をどれだけ面白くできるかで考えたほうが、ちょっと人生に救いがあるかというか、生きてて楽しくなるような気がするわけですよ。

僕はこれを「マリオとカービィ理論(マリオは飛べない、カービィは飛べる。でもマリオの冒険がカービィの冒険よりつまらないわけではないよね)」と勝手に呼んでおります。

ところで僕はスマブラが欲しい。誰かSwitchください。

――このところ作業BGMにカービィのサントラをかけてる。ゲーム音楽はそもそも、手を動かす場面で流れることを想定して作られているから、作業BGMにもすごく向いているよね。

――ところで僕はスマブラがやりたい。誰かSwitchをプレゼントしてください。

2018/12/25/辺川銀

 

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