ミルクティーの海

 ミルクティーの海が見える場所で私は暮らしていた。
 あの頃の私はまだ十代だった。ミルクティーの海が見える場所で私は暮らしていた。ミルクティーの海はミルクティーなので白っぽく柔らかくて波は余りたたず静かな海だったと私は記憶している。砂浜は黒砂糖で裸足のまま歩き回ることが出来たし、海の水は海なのに少しも塩辛くなくてミルクティーだからほんのりと甘い香りがした。遠く遠くに見えていた水平線も恐らくミルクティーだったはずだ。其の水平線と紫色の夕焼けが交わるのを、私はいつも見ていた。ああそうだ、私はいつも見ていた。あの場所の空は朝から晩までずっと夕焼けで月も太陽も沈むことがなかった。紫色の夕焼けとミルクティーの海を黒砂糖の砂浜からいつもいつでも、ずっと私は見ていた。甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘い甘いあの場所で私は暮らしていた。私は十代だった。

 二十代の私は。
 二十代になった私は町で暮らしている。朝早くから夕方までの間、ずっと明るく高く広い鉄骨のお城みたいなデパートの家具売り場で黒を基調にしたカッチリした制服を身に着け、私は働いている。朝の七時半には目覚め軽い朝ご飯を摂り歯を磨いて着替えて、洗濯機を回し化粧をし髪の毛を整え脱水を終えた洗濯機の中から洗濯物を干してから家を出るのが八時半で、それから電車に乗り遅くとも九時前にはデパートの裏の社員通用口から中に入りそれからは途中休憩を挟みつつ夕方六時まで家具を売り続ける。家具を売るのは嫌いではなくてむしろ楽しく感じる。正確には家具を売ることよりも家具そのものが好きで、新しい家具の形や匂いなんかが好きでそういうものがたくさん置かれていて、お客や店員みんなに愛でられているという空間全体が好きなのだろうけれど、そういう内訳はともかくとして今の仕事を私は気に入ってる。ミルクティーの海のほとりでかつて暮らしていた私は二十代になり現実の世界でちゃんと暮らしてるし、夕方六時に仕事を終えてデパートの外に出た時に見える夕日は大概の場合紫色なんかではなく普通に橙色をしている。仕事のあとに飲みに行く友人もいれば会いに行く恋人も居て彼らのことも私はすごく好きで、要するに満たされた生活をしている。満たされた生活をしていて、それなのに私は、時々ふとミルクティーの海について思い出してしまうことがあった。あそこから見えた世界があまりにもどうしようもなく不思議で綺麗で夢のような世界だったからかもしれない。駅の改札前で待ち合わせの約束をしていた恋人と合流した。彼も私と同じように仕事を終えた帰りだからスーツに身を包んでいる。恋人は年上で背が高くて、ちゃんとした現実的なひとだ。待ち合わせ時間の五分前に来た彼は十分前に来た私に向けて、
「待った?」
 と、申し訳なさそうに笑った。それに対し私は、いいえ私もつい今来たところよというふうに答えた。もしかしたら同じ電車だったかもね。

 十代の頃ミルクティーの海が見える場所で私は暮らしていた。そこではひとりの男の子と一緒で、彼は小さくそしてとても細い身体をしていた。 ミルクティーの黒砂糖の砂浜というあんな夢みたいに甘い世界に居たのに、男の子は、抱きしめれば肋骨のほとんどが浮き上がっているとはっきりわかるぐらい細い身体をしていた。あの場所で私たちがしていたことといえばミルクティーの海を眺めながら黒砂糖の砂浜の上に膝を抱えて並んで座り話をすることぐらいだった。ねえ、このミルクティーの海の向こう側には何があるんだろうと、私は男の子に尋ねた。
(何もないさ)
 と、男の子は答えた。
(ぼくは知ってるんだよ。このミルクティーの向こう側なんか行っても何もありゃあしないよ。なぜならこの場所が楽園だからさ。この場所は楽園で楽園だからこの場所を出てミルクティーの海の向こう側になんか行ってもそこには悪いものしかないんだ)
 棒のように細い膝を抱えて座りながら男の子は私に言った。そうだあの場所は楽園だったんだった。ミルクティーの海に黒砂糖の砂浜に紫色の夕焼けが見えたあの場所は楽園という名前で、だけど男の子は、いつも悲しそうな顔をして笑っているように見えた。悲しそうな笑顔で。
 私たちは、楽園に居たのに。

 仕事の帰りに待ち合わせて落ち合ったあと、私と恋人はふたたび電車に乗り窓から見える橙色の夕日を眺めながら二駅先の駅で降りてそこから少し歩いて、マンションの七階にある彼の部屋に行き着替えた。彼の部屋には私の所持している衣服のうちの半分が置かれている。お互い仕事が忙しい中三日にいちどぐらいは会って泊まっているから、いっそ近々同棲してしまおうかなんて話もこのところ頻繁にしている。恋人は年上で背が高くて、ちゃんとした現実的なひとだ。仕事においても人間関係においてもすごく現実的だ。その彼が同棲しようなんてことを言うのだから私たちはそう遠くないうちに本当に、同棲を始めるのだろうと思う。彼はとてもちゃんとしたひとで、ちゃんとしたひとというのは要するに現実的だってことだ。着替え終えた私たちは彼の車に乗りドライブに出かけた。彼の車は新しいものでカーナビも新しいものが付いているのだけど、このカーナビの電源が入ったところを私はまだ見てみたことがない。
「どこに行きたい?」
 と、彼に訊かれた。私は海が見える場所に行きたいと答えた。音楽を聞きながら一時間ほど車を走らせているとすっかり夜になって、海が見える場所にたどり着いた頃には、もう真っ暗になってた。ミルクティーの海について。ミルクティーの海について私はまだ彼に喋って聞かせたことがなかった。喋って聞かせるのはとても怖いことのような気がした。具体的に一体何がどう怖いのかは自分でもよくわからず、それはあのミルクティーの海というものが結局何だったのだろうかということについて考えるのと同じぐらいよくわからなかった。ミルクティーではない潮の香りがする夜の海が見える場所まで来た。海面は遠くの町の微かな光を映しながらゆらゆらと寄せたり引いたりしていた。
「ねえ、そろそろ家まで帰ろうか」
 と彼が言い出す。厭。と、私は彼に返した。どこか知らないとこまで、あなたが連れてってよ。と、私は彼に言った。

 ミルクティーの海で私は死にたかった。
 あの頃十代だった私はミルクティーの海で死んでしまいたかった。死ぬ場所を選ぶのならばミルクティーの海以外には考えられなかった。ミルクティーの海には沖に一匹の白いサメが住んでた。白いサメは大きな赤い口を持ち優しい性格をしており優雅に泳ぎまわっていた。白いサメに食べられたい、と、私は思っていた。ミルクティーの海は柔らかく暖かく甘くて、私はその海面に背中を上に向けぷかぷかと浮かんだ。この海に浸かって、甘い味が身体中にしっかりと浸み込み、甘い甘い私になったところで食べてもらいたいと思った。ミルクティーの海で私は死にたかった。白くて優しいサメの赤い優しい大きな口の中で、正しく噛み砕かれた後に飲み込まれて、死んでしまえればいいのにって、一日じゅう終わることのない夕焼けと、水平線が交わるところを眺め続けながらずっと思っていた。そこは楽園という名前だった。楽園に居たのに、男の子はいつも悲しそうに笑っていた。楽園というのは、それはあるいは綺麗に死ねる場所のことを言うのかもしれない。私はそう思った。
(ここは楽園だよ。ここは楽園で、そして僕も死にたい)
 長い髪の男の子はぽつりと言い、やっぱり悲しそうに笑った。ミルクティーの海が見える場所で私は暮らしていた。私は十代だった。

 恋人の運転する車に乗って夜の海沿いを走った。車内には金属質で賑やかな英語の音楽が流れているのだけど、これは彼の趣味だ。海沿いの道を走った。ミルクティーの海ではないくらい深い夜の海を映した海だから遠くの方を見ても海と空との区別がつかず水平線も見えない。私は黙っていて彼も黙ったまま、私たちは数時間のあいだ海沿いのドライブを続けた。十代の頃の私は、確かに、間違いなくミルクティーの海が見える場所で暮らしていたのだけど、ミルクティーの海が一体何だったのかは二十代になった今でも結局わからないままだ。ただひとつ確かなのは、私はもう二十代になってしまったから、あの場所に帰ることなどもう二度と出来ないだろうということぐらいだった。ミルクティーの海の向こう側に見えた水平線を越えればそこには地獄しかないとあの男の子は言っていていたけれど、今、好きな仕事をして友人も恋人もいて、この場所で満たされた生活をしている。ここは果たして本当に地獄なのか。そんなことはないと私は思いたいけど、ミルクティーの海はやっぱり、今まで私が見てきたものの他の何よりも綺麗だった。ねえ、と、私はそれまで黙っていた口を開き彼に向けて尋ねる。あなたはどこまでいけるの? 彼はハンドルを握ったまま、
「そうだね、ガソリンがもてばどこまでもいけるよ。途中で給油すりゃあそれこそどこまででも」
 と、答えた。言われて私は、小さく息を吐いた。
「ねえそれよりずいぶん遠くまで来ちゃったけど、君は明日も仕事だっけ? 俺は休みだけど、今から帰ってもだいぶ遅くなるからこのままその辺のホテルでも泊まってくかい?」
私は彼に訊かれて、けど、いいえ。あなたの家に帰ろう。と、答えた。私たちの家に帰ろう。

 

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