あの場所に幸せが残っていますように

昨日の夜に5年前まで住んでいた街をフラっと訪ねてみた。東京に出てきてから僕はこれまで3つの街で暮らしたのだけど今回訪ねたのはその2つ目の街だ。工事中だった駅前の道路が綺麗になっていた。それ以外には特に大きな変化があるふうではなかった。いま住んでいる場所とは植えられている街路樹が違うせいか匂いだけでも少し懐かしかった。

1つ目の街を去った時は良い去り方ではなかった。詳しく此処には書かないけれどあの頃の自分は明確に病気でマトモに社会生活を送れる状態ではなかった。ちょっと周囲に迷惑をかける形で救急車に運ばれることになり急遽住まいを替えなければいけなくなって離れた。自分のこれまでの人生でいちばん悪かった時期のひとつだったと思う。

急なことだったので1つ目の街から2つ目の街へ行く時には場所や物件を念入りに吟味するだけの時間も体力もなかったので適当に入った不動産屋で紹介された3つの物件のうちからいちばんマシだと思ったところを選んだ。決め手になったのは立地でも間取りでも周辺環境でもなく内見の際に不動産屋がふっと口に出した「前にこの部屋に住んでいたひとは結婚して出ていったんですよ」というセリフだった。心身ともに駄目になっていたので顔も知らない誰かの幸せにもあやかりたいと思った。

そうして住み始めた2つ目の街には結局2年と半年ほど住んだ。そのうち後ろの半分ぐらいはいつの間にか出会って住み着いていた妻と同姓していた。住まいとしては外食できる場所が近所にあまりなく都内としてはそれほど駅が近いわけではないし通気は悪かったし一階だから外に干していた洗濯物が時々なくなった。出ていく時には名残惜しくてふたりで少し泣いた。3つ目の街に引っ越す際には新居の契約書に妻の名前も書き借り主との関係には「婚約者」と書いた。

そんな2つ目の街の、当時の住まいの前を昨日の夜にフラッと通り過ぎた。かつて僕らが住んでいた部屋の窓には明かりが灯っていた。どうかあの部屋を幸せな形で出るひとであって欲しいと思った。

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