羽根も持たない可哀想ないきものたちの話

 待ち合わせたバス停で降りると夜だというのにむわぁと蒸し暑くて蝉も眠らず鳴いてた。バス停の周りは巨人みたいな背の高いビルに囲まれててわたしは咎められてるように感じた。ナカジマさんは自転車に乗って来ていた。ナカジマさんは眉がハの字の形で普通にしてても困ってるみたいだ。自転車はカゴばかり大きくて変速ギアもついておらず見るからに安物って感じだった。傍に寄ると使っているシャンプーの香りなのか女の子みたいに甘い匂いがしてわたしは目眩を覚えた。ナカジマさんはわたしの鞄を見て自転車の大きなカゴの中に入れるようにと勧めた。重くないから自分で持ちますよって答えた。歩きだと三十分かかるから自転車の荷台に座る?と訊かれた。わたしは、いいえ歩きで良いですと答えた。頭がぼうっとする。ナカジマさんはいいひとだし、わたしのことを好きでいてくれる。
 
 わたしは、ヨシ子ちゃんのことを思った。ヨシ子ちゃんとわたしは小学校の頃から仲良しで年中一緒に遊んだ。ヨシ子ちゃんは華奢で身体が小さく病気がちで学校をときどき休んだ。それに意地悪な男子たちからいつもからかわれていたから、そういうものから、わたしはあの子を守ってあげなければいけなかった。それは楽しく、そして誇らしかった。学年ごとにクラスがふたつづつしかない学校だったから教室もずっと同じだった。毎日のようにランドセルを並べて登下校していた。放課後にはお互いの家に出かけてお菓子を食べながら宿題をしていた。ヨシ子ちゃんは勉強が得意だったからわたしは教えてもらった。休みの日には待ち合わせをして街の中を自転車で走り回ったり虫を捕まえに出かけた。とても楽しかった。
 けれど中学生になるとわたしはもうヨシ子ちゃんを守ってあげる必要がなかった。小学校の頃はヨシ子ちゃんに辛く当たっていた男子たちが、ヨシ子ちゃんに対して急に優しくなったからだ。身体も丈夫になり、体調不良で学校を休むことも減った。勉強はもともと出来る子だったからテストの点数もわたしなんかよりずっとずっと良かった。ヨシ子ちゃんはずいぶんと明るく、社交的になったような気がした。
 一方でわたしは、ヨシ子ちゃんが他の子たちと仲良くなった分だけ、ひとりの時間が増えた。ヨシ子ちゃんは小学校の時から比べて、驚くほど変わって、すごくきらきらしていた。それなのにわたしは、置いていかれたみたいに、何にも変わらなかった。わたしの方からヨシ子ちゃんに声を掛けることが、だんだん減っていった。決してヨシ子ちゃんを嫌いになったわけじゃなかったけど、前と違い過ぎて、何を話していいのかもうわからなかった。中学校を卒業して別々の高校に入ると、そのあとはもう、まったく連絡を取り合うことがなかった。
 わたしはヨシ子ちゃんのことを思った。別々の高校になっても、顔を合わすことがなくても、会話を交わさなくなっても、わたしはそれでもやっぱりときどき、ヨシ子ちゃんのことを思った。あの子に置いていかれて、置いていかれっぱなしで、だから追い付きたいって思った。変わらなければいけないって思った。高校に入ると心機一転して部活をはじめてみた。絵なんか描いたことはなかったけど美術部に入った。でも上手に描けずに苛々してしまって友だちもできなかった。すぐに辞めてしまった。部活を辞めると、だったら勉強をしっかりやろうと思った。分厚い参考書と問題集を買って、毎日家に帰った後少しづつ進めようと思った。でも実際やってみたら一週間と続けられなかった。
 高校を卒業した頃、コンビニに並んでいる雑誌の表紙にヨシ子ちゃんの姿を見つけた。
 わたしばかりが、ちっとも変ってなかった。
 どうがんばっても上手に変われなかった。
 
 ナカジマさんの家まではやっぱり歩いて三十分間かかった。ナカジマさんはカゴが大きい安物の自転車を転がしからからと乾いた音を鳴らした。辿りつくまでのあいだわたしはあんまり彼と喋らなかった。外灯が灯るを歩きながら、ナカジマさんは時折声を掛けてくれたけど、わたしは最低限の短い返事しかしなくて会話は続かなかった。もうすっかり夜なのに蒸し暑くて蝉の鳴く声が聞こえた。ナカジマさんの住んでいるアパートの向かいには小さな児童公園があった。部屋の中にはいると片付いていて、彼らしいなと思った。彼のベッドにわたしは横になった。彼にわたしの服を剥がすように促す。
 ほんとうにはじめてなの?と彼は私に尋ねた。
 わたしは答えずわたしにキスをするように促す。女の子みたいに甘い匂いがするのでわたしは目眩を覚えた。ナカジマさんはいいひとだし、わたしのことを好きでいてくれる。だけどわたしはナカジマさんをぜんぜん好きではなかった。わたしはヨシ子ちゃんのことを思った。わたしばかりが上手に変われなかった。わたしは変わりたかった。
 それなのにナカジマさんは馬鹿で情けなかった。ハの字の眉をさらにくしゃっとひそめて、できない。と、泣きそうな声で以て言った。

 

 

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