ペンキと老人

 その老人には、毎晩、 
 眠る前に、しなければいけない決まりごとがあります。 
 それは部屋の壁に、 
 バケツ一杯分の、ペンキを、ぶちまけることです。 
 ペンキの色は、その日、その時、 
 老人が自分で、この色だ!と、思った色で、構いません。 

 例えば昨日、ぶちまけたのは、 
 新芽のような、緑色のペンキでした。 
 どうして緑色を選んだのかというと、 
 それは昨日、老人は畑に種をまいたからです。 

 例えば一昨日、ぶちまけたのは、 
 柔らかくて優しい、桜色のペンキでした。 
 どうして桜色を選んだのかというと、 
 それは一昨日、老人の家に孫たちが遊びに来てくれたからです。 

 例えばその前の日、ぶちまけたのは、 
 血潮のような、赤色のペンキでした。 
 どうして赤色を選んだのかというと、 
 それはその日、老人は咳をして、血をたくさん吐いてしまったからです。 

 例えばその前の日、ぶちまけたのは、 
 暗闇のような、黒色のペンキでした。 
 どうして黒色を選んだのかというと、 
 それはその日、老人は病院に行って、もうあまり長く生きることはできないと言われたからです。 

 その老人には、毎晩、 
 眠る前に、しなければいけない決まりごとがあります。 
 それは部屋の壁に、 
 バケツ一杯分の、ペンキを、ぶちまけることです。 
 ペンキの色は、その日、その時、 
 老人が自分で、この色だ!と、思った色で、構いません。 

 例えば今夜、老人がぶちまけたのは、 
 青空みたいな、水色のペンキでした。 
 どうして水色を選んだのかというと、 
 それは今日、今まで生きてこれた時間を、本当に嬉しいものだと、老人がそう思ったからです。 

 毎日、毎日、違う色のペンキをぶちまけられた、老人の部屋は、 
 色とりどりの、綺麗なマーブル色に、染まっているのでした。 
 老人が今まで、生きてきた時間は、 
 色とりどりの、綺麗なマーブル色の、時間だったのです。

 

「辺川があなたのお話を聞いて小説を書きますよ」という活動をしています。お申込み・お問い合わせは上記バナーより。些細なことでも気軽にお尋ねください。

 
上記バナーから投げ銭つきのメッセージをお送りいただけます。作品を気に入っていただけたら、ぜひご支援ください。

タイトルとURLをコピーしました