ありきたりの失恋をしただけ

「きのう中村さんに告白をしたんだ」
 たったひとつの雲さえ浮かんでいない秋晴れの空の下の波止場で降りたたみ式の低い椅子に腰をおろし静かな海面に釣り糸を垂らしながら澄谷はひとりごとみたいにぼそりと呟いた。
「好きな女の子に告白するなんてもちろん初めてだった。スマートフォンのメッセージで告白しようかとも一度は考えたけどそれはしなかった。直接会って顔を見て告白することも出来ないような度胸のない男だとは思われたくなかったんだ。神社の側に公園があるだろ? おれたちが小学生の頃によく遊んだところだ。そこで待ち合わせた。おれは約束の時間より十分早く着いて中村さんがやって来るのを待った。待っている時間がいちばん緊張した。緊張しすぎてゲロを吐くかと思った。約束の時間ぴったりに中村さんは来た」
 ぼくは手に持った釣り竿を軽く上下に揺らした。ここに来てからもう一時間が過ぎたけれど魚はまったく釣れない。周囲を見回してもぼくらのほかに釣りびとのすがたはないから今日は魚釣りがし難い日なのかもしれない。
「好きだとおれは中村さんに言った。おれの恋人になって欲しいと伝えた。返事が返ってくるまで何秒か掛かった。それから中村さんは、ごめんなさいと答えた。他に好きなひとが居るからおれの恋人にはなれないと言われた。それからひとりで帰った。おれは振られちゃったよ。どうしておれは振られちゃったんだろう」
 潮気を含んだ冷たい風がすこし吹いている。おまえが彼女の好きなひとではなかったからだろう。と、ぼくは澄谷に言った。おまえは普通に失恋しただけだ。

「あなたはどんなひとのことが好きなの?」
 図書委員の仕事を終えた帰り際に中村さんがそんな科白でぼくを呼び止めたのは澄谷が彼女に告白をするより一週間ほど前のことだった。
「あなたがどんなひとを好きなのかを教えて。今もしも好きなひとがいるのならそれが誰かを教えて。あなたがそのひとのどこに惹かれるのかをわたしは全部知りたい。そしてわたしはそのひとよりもあなたに好かれるひとになろうと思う。わたしはあなたが好き」
 強い視線でぼくを見つめながら中村さんは言った。その一方で彼女の細い足は小さく震えていた。それを見た時ぼくは微かに、澄谷に限らず多くの男子が彼女に心惹かれる理由を理解できたうな気がした。にもかかわらず彼女に対してぼくは苛立った。図書室の古いスピーカーからは蛍の光のメロディが流れていた。ぼくは何も言わずにその場を後にした。

 おまえは普通に失恋しただけだとぼくは澄谷に言った。中村さんに対して先日感じた苛立ちを思い出しながら言った。それから海を見た。鳥の姿も船の影もなくただ海と空を水平線が隔てているだけの景色はまるでこの世界の行き止まりみたいだった。ぼくらの釣り竿には依然として一匹の魚もかかる気配がない。
 横目でそっと澄谷の顔を盗み見ると彼はすこし淋しげな表情で海の表面をじっと眺めながら笑っていた。小学生の頃から見慣れているはずのこの横顔を美しいと感じるようになったのはいつからだっただろうか。
 恋した相手に好きなひとがいた。それは自分ではなかった。失恋というのはそういうものだと思う。だから普通に失恋しただけだ。中村さんも、澄谷も、それからぼく自身も。
「そうだな。切り替えよう」 
 澄谷はそう言って椅子から立ち上がった。今日は魚が釣れなかったけど昼飯はどうしようか。近くの牛丼屋が割引セールをやっているからそこに寄って食おうか。そんな会話を交わしながらぼくらは釣具を片付けをはじめた。






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