私が役に立たない日の出来事

 夕立があった。激しい雨風だった。すぐに通り過ぎた。私は服を着替えた。黒いシャツに袖を通した。ジーパンを履いた。よそ行きの化粧をした。髪は整え忘れた。玄関先でママとすれ違った。ママは私を心配そうに見た。ゴム製のサンダルを履いて出かけた。行ってきますは口に出さなかった。外は暑かった。濡れたアスファルトの匂いがした。シャツの背中にはすぐに汗が滲んだ。喉が渇いた。自動販売機でゼロカロリーのコーラを購入した。その場で飲み干した。あまり美味しくなかった。昨日同じものを飲んだ時には美味しいと感じたのに。
 河川敷を歩いた。川の水は音を立てて流れていた。風がまだ強い。大きな水たまりがあった。水たまりには空が映っていた。空は薄い紫色をしていた。雲の流れが速かった。時間は十八時。もうじき日が暮れる。水たまりの真ん中には傘が落ちていた。私はそれを見つけた。安っぽい透明のビニール傘だった。傘は壊れていた。泥水で汚れていた。八本ある骨のうち三本は折れて曲っていた。ビニールの部分も破れていた。きっと捨てられたのだろう。傘としての役割を果たすことが出来なくなったからだ。

 今日。本当は彼と会えるはずだった。車に乗って彼の家を訪ねる予定だった。彼の家の最寄駅にはレンタルビデオの店がある。好きなDVDをふたりで一本ずつ選んで一緒に見るはずだった。それから夕飯の時間まで一緒に過ごせると思っていた。私は今日を楽しみにしていた。昨日の夜にクッキーを焼いた。彼と一緒に食べるために焼いた。ココアパウダーで甘い味を付けた。味見もきちんとした。すごく美味しく出来た。彼の好物は甘いものなのだ。中でもクッキーがいちばん好きなのだ。彼に喜んで欲しくて。私はクッキーをたくさん焼いたのだ。
 だけど会えなかった。私が原因で今日は会えなかった。私の身体がすべていけなかった。今朝。起床してすぐに生理がやって来た。私は彼にメールを一通送った。生理が来たことを彼にメールで伝えた。生理が来たから今日はセックス出来ない。ごめんなさい。彼からの返信は十五分後に来た。短いメールだった。今日は来なくて良いよ。それだけ書かれていた。メールを読んだら私は悲しくなった。昨日の夜に焼いたクッキーは結局ひとりで食べた。あまり美味しくなかった。昨日の夜に味見をした時には美味しいと感じたのに。変なの。

 壊れた傘を見つけた。水たまりの真ん中に捨てられた傘を見つけた。水たまりの手前で私は足を止めた。黙って傘を眺めた。蝉が鳴いていた。整えてない前髪が額にまとわりついた。やがて私は水たまりの中に足を踏み入れた。ゴム製のサンダルを履いた足が水たまりに浸かった。それから傘に触った。傘の柄を掴んだ。傘を拾い上げた。拾い上げると破れたビニールが大きくめくれ上がった。まるで凧のように風を受けて音をバサバサと鳴らした。やはりこれでは傘としての役割を果たすことは出来ない。だけど私は壊れた傘を握ったままで暫く立ち尽くした。それを手放して再び捨てることは出来そうになかった。家に持ち帰った。

 

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