あなたの眼だけが写す価値

 生まれ育った町の工場で働き始めてからそろそろ一年経つ。コンベアに乗って流れてくる機械部品を決まった形に組み合わせて、別のコンベアに流していくのがおれ役割だ。仕事の中で楽しさを感じることはあまりないのだけど、特に苦痛もない。誰かと喋ることや、頭を使うことをせずとも、黙々と手を動かしていればきちんと仕事になる。給料もそこそこだし、生活のためにと割り切って働くには悪くない職場だ。
 唯一居心地が悪いのは休憩の時間だ。この工場で働く人間の多くは地元の人間だから、それぞれがお互いの顔や名前はもちろん、家族のことや子ども時代のことまで概ね知っている。加えて彼らはこの町のことを酷く愛していて、町の中央を流れる大きな川だとか、西に見える山稜の形だとか、古ぼけた神社だとか、田園風景だとか、そういうものを誇りだとまでいう。おれはそんな彼らと話すことがあまり好きではない。
 だから今日も休憩時間になるとおれはひとりで工場の敷地を出て数分ほど歩いた。路端の掲示板には月末に行われる復興祭のポスターが貼られていた。誰もいない児童公園の錆びついたすべり台の上に座った。周囲を見渡せば抉れた山肌とかまだ片付いていない瓦礫なんかがまだまだ多く目につく。煙草に火を点けると、すべり台の下から誰かがおれを呼んだ。
「なあ。あんた、カシワセさんとこの次男坊だろう?」
 声の主はこの町の郵便局で働くヒゲのオッサンだった。子どもの頃、町内会のイベントで焼きそばやたこ焼きを作っていた姿をうっすらと覚えている。けれど実際に声を掛けられるのはずいぶん久しぶりだ。
「噂で聞いたんだけどよ。あんた都会で写真の仕事をやっていたんだって?」

 嗚呼。そういうところだ。おれは自分が生まれ育ったこの田舎町のことが嫌いだった。どこを歩いても知り合いの目があることとか、二人か三人にか話していない秘密があっというまに街中の噂になることとか、住んでいるみんながこの町を愛していて、嫌いだなんて口にしようものなら白い目で見られることとか、すべてが鼻についた。
  
 故郷を嫌う気持ちをさらに後押ししたのは、高校時代に知ったある写真家と、彼が撮る数々の作品たちだった。都内に事務所を持つその写真家は、海外の賞を幾つも受賞しており業界内での注目度は非常に高かったが、世間一般にはほとんどその名前を知られていなかった。その理由は一般受けとは対局にある彼の作風だ。あらゆる被写体を無価値に見せることが彼の作品の大きな特徴だった。高級な服で着飾った人気の若手女優もボロ布を纏ったホームレスも、何億円もする宝石も路肩の石ころも、雄大な大自然も朽ち果てた廃墟も、彼の手にかれば等しく平等に、何の価値もない、ただの物質として映し出されるのだった。
 彼の写真を見て、こんな表現をできる人間がいるのかとおれは驚いた。おれは生まれた時からずっとこの町で暮らしていて、この町を嫌いだとなかなか言えなかったが、彼が撮る「価値のあるものなどこの世に何もない」と言わんばかりの作品をずっと眺めていると、この町になれない自分のことを、なんだか許されているような気分になることができた。

 写真家のことを知ると、おれはすぐに貯金のほとんどをおろして中古のカメラを買った。最初に撮ったのは大嫌いなこの町の色々な景色だった。つまらない川。つまらない山稜。そんなものをありがたがるつまらない連中。そういったものを、あの写真家がやっていたように無価値なただの物質として映して、お前らが大切にしているこの町がどれだけくだらないか思い知らせてやる! そんな気持ちで町を駆け回って、シャッターを切り続けた。
 町の写真展にはじめて出展してみたのはその年の秋のことだ。おれの作品は優秀賞を受賞したが、審査員の講評では「この町の自然の美しさや、ひとの優しさががよく現れていますね」と書かれていた。あの時は悔しさだけしかなかった。下唇を血が出るぐらい噛んだ。

 高校を卒業するとおれは町から出た。都会に行って六畳一間の風呂なしアパートでひとり暮らしを始めた。思い焦がれたあの写真家の事務所が求人を出していたからだ。写真家はおれを雑用として採用してくれた。
 それからおれは写真家の仕事に同行するようになった。おれの目の前で写真家は本当にすごい写真を撮った。燦然と輝く百万ドルの夜景も腐った犬小屋も、サンゴ礁の海も工場排水で汚れたドブ川も、何十億人に救いを届ける神様の彫像もこのちっぽけなおれも、彼が撮る作品の中では平等に無価値だった。あんな写真をどうすれば撮れるのだろう? どうにか彼の技を盗みたくて、そんな疑問を常に抱いていたけど、少しも分からなかった。

 都会暮らしを始めてから二年が経った夏のことだった。大きな台風がやって来ておれの地元を襲った。そのことをおれはテレビのニュースで知った。山肌は削り取られ、川は氾濫し、家は流されて田んぼや畑は沈んだ。そういう映像が何度も画面に映った。携帯電話の電波塔も壊れているらしく家族や知人の安否は分からなかった。
 翌日になると台風は去ったが被害の全容はまだ分からなかった。死者や行方不明者は百人近くになると報道されており依然として地元の誰とも連絡はつかなかった。事務所ではその日も撮影があったが、おれはもう、いても立ってもいられなくなり、いちど地元に行かせてほしいと写真家に伝えた。
 すると写真家はきょとんとして、悪意ではなく本当に不思議そうに「どうして?」と首を傾げたあと、さらにこう続けた。「君は僕のような写真が撮りたいんでしょ? だったら大切なものなんかひとつもあってはいけない。なにかを大切にしたり、価値を見出したりしちゃうと、そのぶん大切ではないもの、価値のないものが生まれてしまうだろう? そんなんじゃあ僕のような写真は撮れないんじゃないかな」
 写真家のこと嫌いになったわけではない。けれどあの言葉で、嗚呼、自分は確かにこのひとのようには一生なれないだろうと、それはもうはっきりと納得してしまった。 

 結局おれは大嫌いなこの町に戻ってきてしまった。家族は無事だったが何人かの知人や友人が命を落としていた。家を流されたひともたくさんいた。おれは実家に戻り工場で働き始めた。そして今に至る。

「なあ。あんた、写真の仕事を都会でやってたんだろ? それならぜひ、あんたに頼みたいことがあるんだ」
 郵便局で働く髭のオッサンにそう言われて、その週末におれが訪ねたのは、山の麓にある倒壊した家だった。おれが生まれるより、もっとずっと前から、オッサンがずっと暮らしていた家だ。去年の台風で被災したというその家は、テーブルから落ちて潰れたケーキのようにぐちゃぐちゃになり、赤い瓦の屋根が地面の上で歪んで曲がっていた。
「大雨の日からこのままだったけど、この家も明日な、やっと撤去するんだ。だからあんたにこの家の写真を撮ってほしいんだよ。生まれた頃から何十年も暮らしてきた大事な家だから、最後の姿を残して貰いたくてさ」

 その日、おれが撮ったのはもう、誰も住むことができない、おれから見たら何の役にも立たない、あとはもう壊されるだけの家の写真だった。けれど現像した写真を受け取ったオッサンは、一枚一枚の写真を、あたかもすごく価値のある宝物でも映っているかのように、時間を掛けて眺めてから、「ありがとうな。頼んで良かったよ」と、泣きながら笑った。




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