海辺と魔女の夜

 この島には年に一晩だけ魔女がやってくる。今夜がその夜だから、ひとびとは明るいうちから広場に集まって、魔女をもてなすためのごちそうとか、歌とか、焚き火とかの準備をしている。

 わたしはといえば、おもてなしの準備には参加することなく、普段の週末と同じように、午前中から海岸沿いをひとりで歩き始めた。小学校の前からスタートして、この島をぐるり一周歩くのだ。小さな島なので、子どもの足でも半日あればここに戻って来られる。歩き始めて一キロほどの場所で、群生しているみかんの木から実をひとつ貰い、その場で剥いて食べた。これが非常に甘く、ここ最近でいちばん嬉しい出来事だなと思った。

 逆にいちばん悲しかったのは、水曜日に返されたテストの点数が、クラスの下から五番目だったことだ。いずれも些細な出来事でしかなく、小さな嬉しさと、小さな悲しさだが、比較すると嬉しさの方が少しだけ大きい。なのでどちらかというと、わたしは良い日々を送れている気がする。

 ひき続き海沿いをずっと進んでいく。そろそろ正午になるが、もう夏も終わったのでそれほど暑くはない。心地の良い天気だ。砂浜を歩いていると、砂に足を取られ、前のめりの格好で派手に転んでしまった。砂は柔らかいので怪我はなかったけど、家族やクラスメートにもしも見られていたら、きっとたくさん笑われたのだろう。そしてわたしも一緒に笑うだろう。あらためて自分は、どこか抜けているところがあるなと感じる。

 この海の向こうにはトカイがあるそうだ。トカイではこの島とは比べものにならないほどたくさんの建物が並んでいて、大勢のひとが住んでいるのだという。世界中の本が集まる図書館とか、大スクリーンの映画館、歴史あるオペラハウス、立派な美術館だってあるという話だ。さらには空を飛ぶ車や、動物と会話できるイヤホン、どんな色や形にも変化する洋服、望み通りの夢を見られる枕だって売られているらしい。わたしには一生縁がないが、きっと素晴らしいところなのだろう。

 今夜この島に魔女がやって来る。わたしはもう何年か前から、おもてなしの行事には足を運んでいないけど、それより前は毎年行っていたし、魔女の姿も目にしたことがある。彼女は黒いローブを被り、同じく黒く艷やかな長い髪を持ち、そして遠くから眺めているだけでも、ひとを緊張させるほど整った顔立ちをしていた。実年齢は誰にも分からないが、大人たちによるともう何十年も前から、あの見た目のまま変わっていないそうだ。

 町のひとびとは彼女のことを総出で歓迎する。なぜなら彼女は、毎年この島の子どもたちの中からひとりだけを選び、その子をトカイに連れて行ってくれるからだ。この島の子どもがトカイに行くためには、彼女に選んでもらう以外の方法がないので、トカイに行きたい子どもたちや、我が子をトカイにやりたい大人たちは、彼女のことを毎年懸命にもてなしてご機嫌取りをするのだ。

 とはいえわたしは、魔女なんかにはあまり関心がない。なぜならわたしのように、頭が良いわけでもなく、間の抜けた子どもが、魔女に選ばれることなんかは絶対ないからだ。これまで魔女に選ばれたのは、毎年決まって賢い子か、容姿の美しい子、あるいはスポーツが得意な子や、芸術センスがすばらしい子など、誰から見ても明確に、優れた部分がある子ばかりだったからだ。

 太陽が水平線の向こう側にだんだんと沈んでいく。雲はひとつもなく、夕空の赤と、夜空の黒とのあいだに、真っ白で何もない虚しい空が見える。そろそろ魔女も来ている頃だろうか。わたしは海沿いをひとりで歩き続け、あともう少しで島を一周し終える。

 わたしも選ばれてトカイに行ってみたい。そういう気持ちがまったくないといえば、それは嘘になる。わたしと同じく魔女に選ばれない、多くの子どもがそうであるように、それはごくごく小さな火種として、この胸の中に確かに宿っている。

 でも、だからといってこの火種を、わざわざ大きくしてトカイを目指そうとは、わたしは考えない。おもてなしの行事にだって足を運ばず、魔女の姿をわざわざ見には行かない。だって怖いじゃないか。決して叶わないことを強く望むのはすごく怖いじゃないか。望みをどんなに強くしたって叶わないのであれば、自分で火種から大きくした炎に、焼き尽くされるだけだ。

 なのでわたしは今日もこうして、いつもの週末と同じように、海岸沿いをひとりで歩いていく。わたしが生きるこの島の狭さを、この両足できちんと確認する。狭い島の中でも、小さな喜びは見つけられるのだと確認する。小さな喜びと小さな悲しみとの間で、ひとはしっかり生きていけるのだと何度でも確認する。そうやって自分を、これから先もずっと、安心させ続ける。納得させ続ける。

 島を一周し終えた。この散歩をスタートさせた小学校の前にわたしは戻っていた。全身が心地良い疲労を感じていた。歩き終えてから数分のあいだ、校舎を背にして立ち尽くし、海を眺めて過ごした。やがて太陽は完全に沈み、夜が始まった。

 日も沈んだしそろそろ家に帰ろう。わたしは再び歩きだそうとした。すると次の瞬間、自分のすぐ横に、ひとりの大人が立っていることに気づいた。わたしはその大人の顔を見上げた。それは魔女だった。黒いローブ、黒い髪、数年ぶりにその姿を見たが、すぐに彼女と分かった。
 
 今ここに、わたしと魔女がいて、他には誰もいない。どうして? なんて疑問を抱く余裕さえもなかった。わたしは思わず口を開いており、何かを言わなければいけないと思った。けれど何をいえば良いのかまったく分からなかったし、何も言うことが出来ないような気もした。どうだろう。魔女はただ、そっと微笑みながら、わたしの顔をじっと、試すかのように黙って見詰めてくる。

あとがき

「適応戦略としての鈍感さ」というのが、今回モデルの方にお話を聞いた際の大きなトピックでした。鈍感になることで、いろいろな痛みとか不満に気を取られることなく、わりと平穏に暮らすことができる。でも一方で「その戦略を選択している繊細な自分」を消し切ることは果たしてできるのでしょうか。
「わたし」が魔女に何を言ったのか、或いは何も言わなかったのかは、僕にも分かりません。

2018/12/29/辺川銀

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