Mal tiempo buena cara


 
 家の裏に広がる放牧地をボクはひとりで歩いた。草の匂いがする温かい夜風がふわりと通り過ぎる。夜更かしな牛の呑気な鳴き声がどこからか聞こえてくる。空を見上げれば満天の星空が広がり、南十字星や、くじゃく座、カメレオン座など、ボクが好きな星座の数々を見つけることができる。ああ、自分はなんて美しい場所で生きてきたのだろうか! ボクはこの土地が本当に大好きだ。
 
 でも夜が明けたらボクは発たなきゃいけない。行き先は言葉も文化もこことは違う国だ。先進国だけあり最先端の環境で仕事をすることができるが、自然は少ないし人々は冷たく、差別もまだまだなくならないと噂に聞いている。だからこうして星を眺めながら思いを巡らせると、生まれ育ったこの地に留まる選択肢もあったのではないか? なんて気持ちがちょっぴり浮かんでくる。
 
 
 ボクがこの放牧地で宇宙人を見つけたのは今からちょうど三年前の夜だ。自宅の部屋で休んでいたら牧草地の方から大きな音がしたので何事かと思い、父と一緒に駆けつけてみると、銀色の服に身を包んだ小柄な人物がひとり倒れていた。少し離れた場所には三メートルほどの真っ赤な円筒(後で分かったことだが宇宙船だった)が、ぐにゃりと折れ曲がった状態で無残に転げており、その隣では一頭の雄牛が興奮した様子でモォーと鳴いていた。
 
 ボクと父はひとまず、その小柄な人物を家に連れ帰った。傷の手当をしながら事情を聞いてみると、彼は服の襟元に付けたスピーカー(喋った言葉を、どこの星のどんな言語にも翻訳してくれる優れ物らしい)越しに、その身の上をボクに話してくれた。なんでも彼は地球から遠く離れた星の出身で、母国の偵察員として地球に来たのだという。彼の星は人口が増えすぎたために植民地を必要としていたので、その候補である地球を偵察して、侵略可能な星であるかどうかを見極めることが彼の任務だった。だがウチの放牧地に着陸した直後、宇宙船の赤い色に興奮した雄牛に襲撃され、倒れていたそうだ。
 
「あの牛とかいう生き物は本当に恐ろしい」と、母が出してくれたホットミルクを飲みながら彼はそう話した。「先ほど破壊された宇宙船はワタシの星の最新鋭のものだ。あの宇宙船に傷をつけられる生き物や兵器などが存在するはずはなかったのだ……。牛は恐ろしい。あれが地球でいちばん強い生き物ということで間違いないだろうか?」予想だにしていなかった質問を彼に投げかけられ、ボクは思わず返事に詰まってしまった。だが横で聞いていた父が代わりに、穏やかな口調でこう答えてくれた。「あれはウチの家畜だし、牛より強い生き物は、この地球にはたくさんいるんだよ」すると彼は頭を垂れ「それでは地球を侵略するのは無理だ」と残念そうに言った。
 
「地球の生き物は我々が思っていたよりも遥かに手ごわかった。侵略などはとても不可能だ。それと宇宙船が壊れてしまったので迎えに来て欲しい。着陸時には牛という凶暴な生きものに注意を払ってくれ」――出会った日の翌朝。彼は壊れた宇宙船の中に残っていた通信機を使って、そんなメッセージを故郷に送信していた。迎えが来るまでには半年ぐらい掛るということだったので、それまでのあいだ家に置いてほしいと、彼はボクらに頼んだ。ボクも両親ももちろん歓迎した。侵略は諦めたようだし、せっかくしばらく滞在するなら地球での暮らしを楽しんでいってほしいと考えたからだ。
 
 喜ばしいことに地球の食べ物は彼の口にあった。特にステーキをはじめて食べさせたときはその味に心を打たれていた様子で「ワタシの星にはこんなに美味しい食べ物はなかった」と何度も繰り返していた。それが牛の肉であることを食べ終えた後で明かすと、目を丸くしていっそう驚いていた。また地球の文化や学問にも彼は関心を抱いた。ボクが大学に行く時には一緒についてきて、身体を透明にできるマントで身を隠しながら色々な講義に潜り込んでいた。
 
 一緒に過ごすうちに、彼の故郷の星についても話を聞かせてもらえた。なんでも彼の故郷は地球から二千光年離れた場所にあり、彼の星にある宇宙船を使えば半年ほどで来れるが、今の地球にあるロケットでたどり着くのはとても無理だという。また彼の故郷では、そこに住む人々の人生すべてがコンピュータによって管理されているので、結婚相手や付き合う友人、職業、学ぶ学問、聴く音楽や読む本に至るまで、自分の意思で選ぶなんてことは許されていないそうだ。「個人が自分の生き方を決められる地球人の暮らしは、未熟にも見えるが、一方でとても羨ましいとも思う」と、彼はある時ぽつんと口にしていた。
 
 大学が長期休暇に入るとボクは彼を車に乗せて二週間のドライブ旅行に出掛けた。ふたりでこの国の南半分をぐるりと半周したのだ。中でも印象に残ったのは海沿いの街で見た巨大なクジラの姿だ。視界を覆い隠すようなその巨大な身体が海面からジャンプし、次の瞬間、天を衝くような巨大な水柱を立てると、きらきら光る水しぶきの中でボクらはただただ息を呑むばかりだった。
 
 旅行が終わりに差し掛かった頃、「あともう少しで迎えが来てしまう」と彼はボクに言った。「このまま地球に残ることを何度も考えた。だが故郷には家族も仲間もいる。だからワタシたちはもうすぐ会えなくなる」助手席に座って話を続けた彼の、そんな台詞にボクは、返事を返すことが出来ず、唇をきゅっと噛みしめるばかりだった。「でも喜んでほしい。なぜならワタシは、地球に残ろうか。それとも故郷に戻るか。本当に悩んだからだ。地球に来る前のワタシは、自分の人生の何もかもを、コンピューターの決定に委ねるだけだった。自分がこんなに、何かに悩むなんて、想像することもなかったのだ。そして悩んだ末に、帰ることに決めた。これはワタシが、これまで生きてきて初めて、自分の意思で決めたことなのだ。どうか笑顔でいてくれ」
 
 
 頭上に広がる満天の星空を眺めながら、家の裏の放牧地をボクはひとりで歩いた。やがて足を止めたのは三年前に彼と出会った地点だ。あの赤い宇宙船の残骸は、彼を迎えに来た仲間たちが、欠片も残さず回収して持ち帰ってしまった。それでもこの場所に立つと、今でも彼と出会った日のことや、一緒に過ごした日々のことを、すべて昨日のことのようにはっきりと脳裏に蘇る。夜が明ければボクはこの地を発ち、言葉も文化もまったく違う国で、ロケットや宇宙服の開発をする仕事に携わり始める。不安な思いもずっと抱いているし、実際に苦労することだってきっとあるだろう。でもそんな時には、彼のことを思い浮かべれば、頑張れる気がする。なぜならこれも、ボクが自分で決めた生き方だからだ。



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