特別編13.無償の愛は抱けないだろう

残暑。妻の妊娠が進むにつれて僕自身の親について考えることも増えた。

僕の両親、特に父は、息子である僕ら三兄弟に対して「無償の愛」を向け続ける人なのだとずっと感じてきた。

幼少の頃は無自覚なままその愛情に育まれてきたけど、思春期を迎えるにつれてだんだん嫌気が差した。「息子である」というだけで無条件に与えられる愛情であるなら、僕が善人でも悪人でも同じように与えられる愛情であるなら、それは僕という人間の価値を特に証明しない愛情なのだと思った。

それよりも「僕自身の行いに対する対価としての愛情」「僕自身の価値に向けられた愛情」「無償ではなく有償の愛情」を欲しいと強く思った。これは十代後半から二十代前半の僕にかけていちばん深刻な悩み事でさえあったかもしれない。悩んだ価値はあった。妻に出会ったからだ。

血の繋がりではなく、ふたりでゼロから積み上げた関係性によって家族になるのだから夫婦というのは「有償の愛」による関係性なのだろう。結婚をして落ち着いてくると両親から与えられてきた「無償の愛」についても、自分を含めひとが成長していく過程で、特に幼少期には重要なものなのだろうと納得することができた。

無条件に与えられる「無償の愛」。自分自身の在り方によって与えられる「有償の愛」。どちらも等しく必要なものなのだと。
 
……けれど妻の妊娠が分かって少し経ったこの時期から、自分の中でこの説に改めて疑問が生まれてきた。自分が両親から受けてきたものは果たして本当に「無償の愛」なのか?
 
「Noかもしれない」という思いが日に日に強くなる。あれは「無償の愛」なんかではなかったのかもしれない。
 
お腹の中にいるあなたは知らないかもしれない。エコー写真で姿を見た時の僕の気持ちだとか。健診で「順調に大きくなっている」と聞くたびに安堵や愛おしさ。これからどんどん大きくなるにつれて僕が受け取る大きさもその分大きくなる。無事に生まれて来てくれれば自分がどんなふうになっちゃうのか想像もつかない。

きっとあなたが生まれてきた時、僕はもう両手いっぱいに受け取っているのだろう。僕はあなたが大人になるときまで何十年かかけて、それを返していかなければいけない。だからそれは無償の愛ではないのだ。

すごくすごく楽しみにしてるよ。

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