わたしはママに愛されているから

 道に迷っているとおまわりさんに声をかけられました。
 それからわたしはおまわりさんに交番に連れて行かれました。
 
 交番の中は暖かかったです。
 ストーブからはぱちぱちと炎の音がしました。
 おまわりさんが出してくれたお茶は美味しかったです。
 
「なにか観たいものはある?」とおまわりさんはわたしに訊きました。
 わたしは転校前の小学校で流行っていたアニメを答えました。
 まわりさんはタブレット端末でそのアニメを見せてくれました。
 そのアニメはママに「頭が悪くなるくなるから観ちゃだめ」と言われていて、家では観られませんでした。
 でもわたしはずっと気になっていたので、観れて良かったです。
 
 アニメの一話を観終えると、おまわりさんは「家の住所かお母さんの電話番号はわかる?」とわたしに訊ねました。
「わかりません」とわたしは答えました。
 
 
 転校前のクラスで仲良しだったアヤノちゃんの家では今ごろ、クリスマスパーティが開催されているはずです。
 アヤノちゃんの家はカフェをやっています。
 カフェの中はずいぶん広いので、きっとパーティには今年も、クラスのみんなが参加しているでしょう。
 
 去年参加したときには、わたしもとても楽しかったです。
 プレゼント交換でもらったコミックスは、ママに内緒で勉強机の引き出しの奥に保管しています。
 今でもたまに読み返しています。
 
 だけど今年、わたしは転校してしまったので、クリスマスパーティにも参加できません。
 
 
 今日。
 わたしはママに嘘をつきました。
「欲しい問題集があるから、本屋さんに買いに行きたいです」と。
「新しい学校は、前の学校よりも授業の進みが早いので、問題集を買って勉強したいです」と。
 そう言ってママから千円札を貰って家から出発しました。
 
 本当は問題集なんか欲しくはありません。
 問題集が欲しいと言ったのは、そういえばママがお金をくれると分かっていたからです。
 問題集を買いに行くといえば、ひとりで外出させてくれるだろうと分かっていたからです。
 他の理由だったら、おそらくだめでした。
 たとえば問題集ではなくコミックスが欲しいと言っていたら、きっとお金はもらえなかったでしょう。
 たとえば本屋さんではなく、公園に行きたいと言っていたら、きっとひとりで外出はできなかったでしょう。
 
 わたしはまだ、地図の読み方を習っていないので、前に住んでいた町が、今いる町からどれくらい離れているのかは分かりません。
 だけどお金を持って家を出発できれば、あとはどうにでもなるだろうと考えていました。
 電車の乗り方なら授業で習っていたし、千円は大きなお金なので、頑張ればきっと辿り着けるはずだ、と。
 そうすればアヤノちゃんの家のクリスマスパーティにも参加できるかも、と。
 
 
 でも、どんな理由があっても、やっぱり嘘をつくべきではなかったのかもしれない。
 家を出て、本屋さんを素通りして駅へと向かう途中、わたしは道に迷ってしまったのです。
 まだ引っ越してきてから間もないとはいっても、今日このときのために、駅への道だけは何度も確認して、覚えたつもりでいたのに。
 いつもママは言っていました。
「あなたが嘘をついても、神様はぜんぶお見通しだからね」と。
「あなたが嘘をついたら、神様はあなたに罰をあてますからね」と。
 ママを騙したから、わたしは罰を受けたのかしれない。
 だから迷子になんかなったのかもしれない。
 
 知らない公園のベンチに座り、途方に暮れていると、おまわりさんに声をかけられました。
 そうしてわたしは交番に連れて来られました。
 
 
 アニメの三話を観終えると、おまわりさんはまた「家の住所かお母さんの電話番号はわかる?」とわたしに訊ねました。
「わかりません」とわたしは答えました。
 
 住所がわからないのは本当です。
 引っ越してきてから間もないので、わたしはまだ、新しい住所を覚えていないのです。
 だけれどママの電話番号が分からないのは嘘です。
 この期に及んでわたしは、今度はおまわりさんに、嘘をついています。
 なのでまだまだ罰を受けるかもしれないと、わたしは思います。
 
 
 アニメの四話が始まる頃、交番には別の子どもが連れられてきました。
 それは五歳の男の子でした。
 男の子は始終わんわん泣きわめいて、目元や鼻の頭が真っ赤になっていました。
 ですが自分の名前や家の住所や電話番号など、婦警さんからの質問にはきちんと答えていました。

 ほどなくして、男の子の母親が交番にきました。 
 男の子の母親は、わたしのママより若く、長い髪の毛を美しい金色に染めあげていました。
 もしも男の子の母親がうちのテレビに映ったなら、わたしのママは「頭が悪そうな女性ね」とコメントするでしょう。

 ですが男の子の母親が、男の子と同じぐらい目元を腫らしながら、男の子のことをぎゅっと抱きしめている様子を見て、わたしはすこし、良いな、と思いました。
 わたしのママは、このあとわたしを迎えに来たとしても、あんなふうにはきっとしないでしょう。
 おそらくわたしのことを叱って、帰りの車の中でも叱って、家に帰っても叱って、夕飯のときと夜眠る前にも叱って、それで終わりでしょう。
 
 
 わたしはママのことを好きです。
 なぜならわたしのママは、わたしをとても、愛しているからです。
 ママがわたしにピアノや習字をやらせるのは、わたしに教養を身に着けさせるためで、教養を身に着けさせたいのは、わたしのことを愛しているからです。 
 ママがわたしに水泳をやらせるのは、わたしに体力をつけさせるためで、体力をつけさせたいのは、わたしのことを愛しているからです。
 ママがわたしを塾に通わせるのは、いい大学やいい会社に入れる、立派な大人に育て上げるためで、立派な大人に育て上げたいのも、わたしのことを愛しているからです。
 パパと離婚したのも、わたしのことを愛しているからです。
 引っ越しをしたのも、小学校を転校させたのも、わたしのことを愛しているからです。

 
 男の子と、その母親が帰ってから少し経つと、おまわりさんはまた「家の住所かお母さんの電話番号はわかる?」と、わたしに訊きました。
「わかりません」とわたしは答えました。
 おまわりさんは苦笑いをしながら、美味しいお茶のおかわりを淹れてくれました。
 タブレット端末の液晶画面には、アニメの第五話が流れ始めました。

 わたしは愛されています。
 愛されているから、わたしは普段、どんなことでも、どんなことであっても、我慢することができます。
 だけど、どうしてだか、もうすこしだけここで過ごしたいと、もうすこしだけ帰りたくないと、今日だけはすごく、思ってしまうのでした。


 

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