ファイアボール

 曇る朝の空気は冷たく道の端に駐車された車の窓を霜が覆っていた。制服姿で登校している何人かの高校生と擦れ違いながらおれは駅へと向かった。駅に着くといちばん安い切符で改札の機械をくぐり階段を登った。ホームにはあまりひとが居らず閑散としていた。奥の方には自動販売機があり顔の半分が前髪で隠れた少女がもたれかかっていた。少女の名前は晶というらしかった。晶は高校の制服の上から紺のコートを羽織って耳にはイヤホンをしていた。片目と両耳を塞ぎ他人の干渉を拒むような雰囲気があったが、服装だけを見れば先ほどすれ違った登校中の高校生たちと何ら変わりはなかった。晶はおれの姿を見つけるとゆっくりと歩み寄って来て両耳のイヤホンを外した。「わたしたちは避難しなければいけない」抑揚のない声で晶は小さく言った。おれたちは避難しなければいけない。おれが繰り返すと晶は口元だけ微かに笑って見せた。間もなく電車が参りますと頭上のスピーカーが喋った。ほどなくしてホームに電車が滑り込みおれたちの前で止まった。

 昨日の夜もおれは公園に寄り煙草を吹かしていた。美術予備校のアルバイトで、十六歳から十八歳の現役高校生を相手に基礎的なデッサンを教えた帰りだった。おれは先月三十歳の誕生日を迎えていた。予備校講師のバイトにやりがいを感じたことはなかった。情熱を持って臨んでいる同僚も居たがおれはそうなれなかった。夜の公園で煙草を吹かしながらおれは自分が高校生だった頃のことを思い返していた。絵描きか映画監督か写真家になりたいと思っていた。或いは何にもなりたくなかったが何かになれるような気がしていた。煙草などは一生吸うまいと思っていた。だが結局のところおれは何にもなることが出来ずに予備校講師のアルバイトなんかをしている。生活に必要な分ぐらいは稼げたし新たに何かを始めるだけの気力も起こることはなかった。未熟な技術で基礎的なデッサンに励む十六歳から十八歳の姿を見ていると時折、お前らのほとんどは何にもなれないんだぞと声を大にして叫び喚き散らしたい衝動に駆られる。そんな日々を過ごしていた。夜中の公園でひとり煙草を吹かした。

 晶が現れたのはとても唐突だった。夜中の公園で吸い終えた煙草を足元に落とし踵で火を消し再び顔を上げると、制服姿の少女が目の前に立っておりそれが晶だった。顔の半分が前髪で隠れていたが姿は凛然としていた。「わたしたちは避難しなければいけない」晶はおれの隣に腰を降ろすと何の前振りもなく喋り始めた。抑揚のない喋り方をしていた。「あしたトーキョウに星が降ってくるから、わたしたちは避難しなければいけない。燃える隕石がたくさんたくさん降る。トーキョウはなくなる」おれの隣に座り晶は淡々と喋り続けていた。どこか頭のおかしいの子なのかもしれないと思ったが語り口は真に迫っていた。もしくはおれ自身が、彼女の話が本当であれば良いとどこかで望んでいた。「わたしたちは避難しなければいけない」と、三たび晶は言った。おれは繰り返した。おれたちは避難しなければいけない。晶は立ち上がった。「明日の八時に駅のホームで待つ」そう言い残して彼女は公園を去った。

 電車に乗ったおれと晶はたちは約九十分ごとに乗り換えを繰り返しどんどん西へと向かった。平日の昼間ということで車内のひとは多くはなくある地点ではおれと晶のふたりだけになることもあった。晶はあまり喋ることがなかった。おれたちは何処へ行くのかと晶に何度か訊いたが「知らない」という答えが短く返るばかりだ。星は本当に降るのかと尋ねれば「降る」とだけ答えた。正午を過ぎ、おれたちは順調にトーキョウを離れていた。気が付くと晶は隣で眠っており、小さな頭を俺の肩に乗せながら静かな寝息を立てた。顔の半分が前髪で隠れていた。眠っている晶を起こさないように注意を払いながらおれは彼女の前髪を指でそっと持ち上げ、隠れていた顔の半分をひっそり覗き込んだ。晶の右目の周りは酷い火傷の跡がありケロイドに覆われ紫に爛れていた。

 陽が沈む頃になってもおれたちは電車に揺られていた。窓の外にはいつしか海が見えた。海の水面に夕日が映り燃えて光っていた。自分が今どのあたりに居るのかはっきり分からなかった。おれに持たれ掛かって晶は眠っていた。おれは彼女の前髪に触れないように気を付けつつ、時折そっと晶の頭を撫でた。トーキョウからはだいぶ遠くまで来ていた。空が段々暗くなるのが分かった。おれたちは避難している。もう少しして夜がやってきたなら、燃える隕石がたくさんたくさん降りトーキョウの町はすべてが爛れて消えてなくなる。そうなれば良いなとおれは思っている。

                      






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