塞がる膜

 青い玩具箱にふたりで暮らしていた。私はゼンマイ仕掛けだ。青い玩具箱には夜になると薄暗い緑のキャンドルが灯った。私はゼンマイ仕掛けなのでゼンマイを巻かねば止まって死んでしまう。玩具箱の中には熊のぬいぐるみばかりが居た。熊のぬいぐるみはどれも生き物ではなかった。生きて動いていたのは私とあなただけだ。私は毎晩ベッドで裸になった。ゼンマイの穴は私の背中にある。ゼンマイのネジはあなたの右腕だった。熊のぬいぐるみに触れてはいけないとあなたは私に言った。私が裸になって背中の穴を向けると、あなたはそこに右腕のネジを突っ込む。あなたは私のゼンマイを巻いてくれた。あなたは毎晩、時間を掛けて私のゼンマイを巻いた。青い玩具箱にふたりで暮らしていた。私はあなたをとても愛していた。

 あなたが出かけて数日帰らなかったことがあった。暖炉にくべる薪を取りに行くのだと言った。青い玩具箱には暖炉などなかった。光も暖も少しも不足はなかった。薄暗い緑のキャンドルがあればそれで十分だった。薪を取りに行くと言って出かけたきりあなたは数日私をひとりにした。私はあなたをとても愛していた。あなたが帰ってこないのでわたしは寂しくなり熊のぬいぐるみを抱きしめてしまいたい衝動に駆られたが思いとどまった。熊のぬいぐるみに触れてはいけないとあなたが言ったからだ。だがあなたを待つ間私は気が気でなかった。ゼンマイが止まって死んでしまうと思った。不安のあまり私がわんわん泣き始めた頃になってあなたは帰ってきた。あなたは薪などひとつも持っていなかったが私にとってそれは些末なことだ。何を言うより早く私は裸になった。背中の腕にあなたは右腕を突っ込む。あなたは私のゼンマイを巻いてくれた。私はあなたをとても愛していた。

 私はある夜あなたと喧嘩をした。青い玩具箱にふたりで暮らしていた。玩具箱の中には熊のぬいぐるみばかりが居た。熊のぬいぐるみに触れてはいけないとあなたは私に言った。なので私は熊のぬいぐるみに触れたことなどなかった。青い玩具箱には夜になると薄暗い緑のキャンドルが灯った。ある夜あなたは突然私のことを怒った。熊のぬいぐるみに触っただろうとあなたは私を怒った。私は熊のぬいぐるみに触れたことなどなかった。私はあなたの約束を破ったことなどなかった。私は熊に触ってなんかいないわ。私がそう言うと彼は私を殴った。ネジの右手で私を殴りつけた。私は悲しくなり玩具箱から逃げた。青い玩具箱の外に出るのは生まれてはじめてだった。玩具箱の中は夜だというのに真っ白な世界でまるで紙の上だ。私はこの晩まだゼンマイを巻いていなかったが悲しくて悲しくて白い世界を力の限り走った。

 白い世界は真っ白なので私は時間がちっとも分からなかった。走りつかれて泣き疲れたので青い玩具箱に帰らなければいけないと思った。玩具箱に帰ってあなたに謝りゼンマイを巻いてもらわなければいけないと思った。私はゼンマイ仕掛けだ。あなたにゼンマイを巻いてもらわなければ私は死んでしまう。私はあなたをとても愛していた。あなたを怒らせてしまったことと飛び出してきてしまったことを深く反省した。熊のぬいぐるみに触った覚えなどはないがもしかしたら不注意で少しだけ触れてしまったのかもしれないと思った。もしそうなら悪いのは完全に私だ。私は苦しかった。青い玩具箱に帰らなければいけないと思ったが私は迷子だった。滅茶苦茶に走って逃げてきたのでどうすれば帰れるのか私は覚えていない。白い世界は真っ白なので私は時間がちっとも分からなかった。帰れないとあなたに会えないので私は悲しかったあなたのネジで巻いてもらわなければゼンマイが止まって私は死んでしまう。時間が分からなかったがゼンマイがもうすぐ止まってしまうだろうということは分かった。ごめんなさい。私は泣いて呟く。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい私は泣いて叫んだ。私は死にたくなかった。私はあなたをとても愛していた。

 白い世界で私はあなたに出会った。白い世界であなたは私を呼んだ。あなたの声が慌てているのが分かった。白い世界の上に私は座っていた。青い玩具箱を出てからどれだけ経ったのか私は分からなかった。かなりの時間が経過したことは確かだ。紙のような白い世界に座っている私を、あなたは怯えたような目つきで以て眺めた。ゼンマイを巻くため私の服を伸ばそうとあなたは腕を伸ばした。あなたの腕を私は振り払った。私は立ち上がった。私が死んだと思った?私はあなたに尋ねた。あなたは答えなかった。私のゼンマイはとっくに止まっていた。腕も脚も首も動かすことが出来た。ゼンマイが止まっても私は死ななかった。私が死んだと思った?ゼンマイが止まっても私は死ななかった。もう私は、あなたを愛していないし少しも必要ではない。






(シェアしていただけると、運営の助けになります)