野外に出ると朝の日差しに私は眩暈を覚えた。吸いもしない煙草の匂いが髪から取れず気持ちが悪かった。寝不足だったので頭がぼぅっとしていた。蝉の鳴く声を鬱陶しいと思った。おぼつかない足取りで駅の方へと向かった。喉の辺り湿らす汗を手の甲で拭った。首に痣を付けられたことを思い出し暗い気分になった。自動販売機でミネラルウォーターを購入した。ペットボトルのキャップを開けるとはじめのひとくちは口の中をゆすぐために使った。私はとても弱い人間だ。いつも誰かに必要とされていなければ不安で仕方がなかった。他人から欲しがられるためであればどんなことでもした。だから私は昨日の晩も見知らぬベッドで眠った。
天使が落ちていたのは家の近所だった。電信柱の日陰にぐったりと倒れていた。男の天使で子どもの姿をしていた。人間でいうと五歳前後の見た目だ。背中には羽根が生えていたがまだ飛ぶことはできない様子だった。あちこち傷つき今にも死にそうだった。カラスか何かに苛められたのかもしれない。天使が私よりも弱そうだったので私はにわかに嬉しい気分になった。私はこの子の役に立つことが出来るかもしれないと思ったからだ。もしも私がこの子にとって役立つひとになれたら、この子は私を好きになり、必要としてくれるかもしれないと考えたからだ。私は天使を両手で抱き上げ家まで連れて帰った。
天使が居る生活は楽しかった。天使は私によく懐いてくれた。天使は笑うと頬に笑窪が出来た。天使の傷は家に来てから一週間ほどですっかり良くなったが、それでも私の家に住まい続けてくれた。私は天使のために子ども服を買い、食事を作り、絵本を読み聞かせた。絵本なんかを読むのは十数年ぶりだった。私の記憶に残っているよりよほど色鮮やかで、読み聞かせながら私の方が泣くことだってあった。毎晩きちんと家に帰るようになった。家に帰れば天使が待っているからだ。自分のベッドで天使と一緒に眠った。見知らぬベッドで知らない匂いに包まれながら眠るようなことは一切なくなった。
秋が訪れると天使は空を飛ぶ練習を始めた。背中に付いた小さな羽根をぱたぱたと動かし身体を浮かそうとしていた。冬が来る前に飛び方を覚えなければいけないのだと天使は私に言った。寒くなったら空を飛んで渡り鳥のように遠くへ行かなければいけない。天使というのはそういう生き物らしい。はじめはまったく飛べなかったが十日目ぐらいで少し浮き始めた。さすがに元々羽根が生えているだけあって着実に上達した。私は悲しかった。天使はもう私より弱い子どもなどではなかった。口に出しこそしなかったけどこの子にはずっと弱いままでいてほしいと思っていた。空など飛ばずにいてほしいと思った。
野外に出ると朝の日差しに私は眩暈を覚えた。寝不足だったので頭がほうっとした。蝉の鳴く声が鼓膜にうるさく響いた。おぼつかない足取りで駅の方へと向かった。喉の辺りを湿らす汗を手の甲で拭った。髪を短く切ったので首の回りが無防備になり何だか落ち着かない。自動販売機でミネラルウォーターを購入した。喉が渇いていたので全部一気に飲んだ。天使とはじめに出会った日からちょうど一年過ぎた。天使はきちんと飛べるようになり冬のはじめにどこかへ行ってしまった。そして私はひとりで暮らしている。自分のベッドで毎晩ひとりで眠る。今の私は、もうあの子よりも弱い大人などではない。あの子が強くなったのに私が弱いままでは、二度とあの子に会うことはできないだろうと考えたからだ。
暖かいうちにまた遊びにおいで。