くじらになった夢を見た。くじらの私は大きな身体をしていた。くじらの私は海の深くの暗くて冷たいところで静かに生活していた。深海には太陽の光がほとんど届かなかったがとても居心地がよかった。けれど時々息が苦しくなった。くじらはエラ呼吸ではなく肺呼吸だからだ。海で暮らす生き物のくせに水中で呼吸をすることが出来ないからだ。くじら哺乳類は哺乳類なのだ。くじらの先祖は大きいねずみのような姿をしており地上で暮らしていたのだ。海の中で暮らすならエラ呼吸の方がきっと生きやすいのにどうしてくじらは肺呼吸のまま進化したのだろう。くじらの私は呼吸をするため明るく暖かい太陽の光をたどって海面の方へと登った。
鍋の蓋がカタカタと鳴る音が聞こえた。慌ててキッチンに向かうとスープが吹き零れていた。私はコンロの火を消して深い溜め息を吐かなければならなかった。料理をするのはあまり好きではない。料理をするには時間と手間が掛かる。それに対して食べる行為はあまりにあっという間だ。とても釣り合わない。そうして作った料理を旦那や息子が箸もつけずに残してしまった日にはもう目も当てられない。それが私が大学時代に何度も味わった気分だ。数ヶ月かけて描き上げた作品を講評でぼろぼろに非難された時に感じる屈辱的な気持ちだ。家の壁には小さい油絵が一枚飾ってある。大学時代に仕上げた作品はほかにもたくさんあるが納得のいく出来に描けたのはこの一枚きりだ。
私は画家になりたかった。小学生の頃に絵のコンクールで入賞したのがきっかけだった。それまで何の取り柄のなかった私にとってはとても嬉しかった。中学高校と美術部に所属していた。この時期にも小さな賞を幾つか取ることが出来た。自分には才能があると思った。美術の大学に現役で合格した時には自分が将来画家になることを信じて疑わなかった。けれど大学に入ってしまえば私は凡庸だった。会うひと誰もが自分よりも優れた才能を持っているように感じた。あっという間に私は自信を失った。もちろん画家になることも出来なかった。
息子が帰って来るまでに夕飯の支度を済ませなければいけない。結婚して息子が生まれると私は絵を描くことを一切やめてしまった。子育てをするには多くの時間が必要だし、私自身も家計の足しになる仕事をしなければならなかった。学生時代のようにじっくりと絵を描く余裕などとてもなかったからだ。旦那や息子のことはとても大切だ。以前の私は絵が大切だった。独身時代の私は画家になることが自分の幸せなのだと信じて疑わなかった。しかし私は絵を描くことを家族のためにやめた。だから私にとって家族は絵よりもずっと大切なのだ。絵を描くよりも大切なもののために生きているのだから私は幸せだ。大丈夫。私は幸せだ。
今夜も私はくじらになった夢を見た。くじらの私は海の深くの暗くて冷たいところで静かに生活していた。けれど肺呼吸のくじら水中で息継ぎをすることが出来ない。私は呼吸をするため明るく暖かい太陽の光をたどって海面の方へと登った。くじらの先祖は大きいねずみのような姿をしており地上で暮らしていたが大昔に何かの理由で地上を捨てて海で進化した。海の中で暮らすならエラ呼吸の方がきっと生きやすいのにくじらは肺呼吸のまま進化することを選んだ。何故そうしたのか私は知っている。いちばんはじめに海で進化することを選んだ先祖の気持ちを私は知っているのだ。本当はまだ地上で暮らしたかったとどこかで思っていたからだ。暖かく明るい太陽の下で生きていたいと思っていたからだ。だからくじらは肺の呼吸を捨てられなかったのだ。海面に出て息を吸い込むと辺り一面に細かな飛沫が飛んだ。日差しを受けてきらきらひかっていた。