特別編9.「なんでいつも家にいるの?」と疑問に思われたい


 夏の終わり。

 妻の妊娠を受けてお金のことはどうしても考え直す必要があった。これまでは共働きで何とかやってきたのだけどそれほど余裕があったというわけではない。数カ月後に妻が働けなくなると家計はキツくなる。となると僕の収入を増やさなければいけなかった。

 個人事業主として働き始めてから2年が経っていた。独立直後の肩書きは『ライター』。去年10月に『あなたのショートショート』を始めてからは『小説家』も加えた。収入は多い時もあれば少ない時もあった。額そのものの大小よりもその不安定さが心配事だった。

 なので収入を増やす上では安定感を大きなテーマに据えた。個人事業主のままでそれを得るのが難しいのであれば再びどこかに勤めることも一時は視野に入れた。

 まず最初にやったのはキャリアカウンセラーをやっている友人に相談することだった。信頼している人間だし仕事や生活に関わることなので妻の妊娠のこともここでは打ち明けた。個人的な友人に妊娠のことを話すのが始めてだったので「おめでとう」と言ってもらえたことが嬉しかった。それだけでも少し不安が軽くなる。

 友人は相談に対して「2年間個人でやってきたのなら、関わってきたひともそれなりにいるはずなので、そういうひとたちに話してみると良い。すぐには難しいかもしれないけど、良い縁に繋がるケースが出てくるかもしれない」という旨の助言をしてくれた。

 その助言を得て次に声を掛けたのはこの数ヶ月前からライターとして関わっていたスポーツ媒体だった。僕自身が野球好きだからというところから入り、楽しく仕事をさせてもらっている媒体のひとつだった。事情を話してみると「ちょうど編集者が辞めたところなので辺川さんに声をかけようと思っていたところ」なのだという。びっくりした。そんなタイミングの良い話ってあるだろうか。
 
 提示してくれた条件も申し分なかった。働き方としては個人事業主、自宅勤務のまま。毎月決まった日数の仕事があり決まった大きさの金額が入ってくる。妻が産休や育休をとても充分支え得るだけの額だ。正社員になるわけではないので、それとは別にこれまでやってきた案件も『あなたのショートショート』も継続して続けられる。ほとんど理想的といって良かった。あと子どもが出来ることについても喜んでくれた。
 
 物書きという職種は個人事業主の中でも報酬の幅がピンからキリまである。時には最低賃金の半分にも満たないような額で書かせようとしてくる業社も多い。都心に大きなビルを構えているような大企業でも平気でそういう仕事を投げてくる。だから個人で仕事をするようになって以降、搾取されないよう警戒しなければという気持ちが僕の中にもけっこう強めにあったし、もっというなら基本的に(終始個人対個人でやりとりする『あなたのショートショート』を除けば)お客さんというものを信頼してなかった。

 だからこんなふうに、いちばん必要な時に良い条件の仕事を貰えるということに自分でもびっくりした。期待されているなら応えたいと思ったし、それはこれまで感じることのあまりない感覚でもあった。

 先述したキャリアカウンセラーの友人にこのことを話すと「もっと『数撃ちゃ当たる』でやるもんだと思っていたけど」と驚いていたけど、「それだけちゃんと仕事してたってことだ」と言ってくれた。

 何はともあれ大きな心配事がひとつ解消された。
 
 
 そしてこの時期は妻にも職場における変化が起きている様子だった。

 これまで妻は一貫して「仕事ができるひと」であり「数字を出せるひと」であり「結果で周りを黙らせる」タイプだった。だけれどこの時期になると、体調不良で思うように動けない日だとか、休んだり早退したりせざるを得ない日が徐々に増えてくる。

 そんな妻のことを、妻の職場のひとたちはずいぶん親身に支えてくれたという。従業員の妊娠出産に理解のある会社で、既に産休を経て戻ってきたひとも多く勤めているそう。妻も妊娠のことを話し、日々アドバイスや体験談なんかも貰っているとのこと。妻は毎日仕事の後にその日職場であった出来事を聞かせてくれるのだけど、その内容にも柔らかいものが増えてきたような気がする。

 妻の妊娠をきっかけに身を置く環境が変化したりだとか、同じ環境でも違った側面が見えてくるということが夫婦共々あった。そんな中でも赤ちゃんはすくすく育っていて、腕とか脚ができつつあるとエコー写真でも分かった。
 
 兎にも角にいろいろなことがすごくありがたい。

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