深夜の二時にマフラーを巻いて彼と一緒に海辺の散歩に出かけた。空気は冷たく澄んでいるので上向きに深呼吸をすると白い息がぼんやり登って楽しい。わたしは昼間理容室に出かけて髪を切って来たけど彼はわたしの新しい髪型に関して、左右のバランスが微妙におかしいとか、もう何ミリだけ前髪が短い方が似合うのにとかぶつぶつ文句を言う。わたしはそれを笑ってごまかし、彼の右手をぎゅうっと強くきつく握った。けれども彼の右手はわたしを握り返さず、代わりに左手を使って数秒前まで馬鹿にしていたわたしの毛先を撫でた。そのとき星が流れて、わたしは泣きたくなった。彼は病気で右手を動かせないのだ。
わたしは星の子どもだ。これは誰にも言っていないけれどわたしは宇宙で生まれた。宇宙の端の青い星雲の中から音も立てずに静かに静かに生まれた。流れ星になり何万年かの時間を経て地球にたどり着いた。それからというものニンゲンの姿を借り、ニンゲンの生活に紛れて今も暮らしている。星の子どもには特別なチカラがある。無事に地球にたどり着くことができたら、そこで好きになったニンゲンの願いをひとつだけ叶えてあげることができるというチカラだ。青い星雲で生まれてから流れ星になり地球にたどり着ける星の子どもは、十億人にひとりぐらいだというふうにいわれている。
わたしが他所で髪を切って来ると彼はそのたびに奥歯をきつく強く噛みしめ、おれがお前の髪を切ってやれたら良いのにと嘆いた。彼は今から二十と数年前に理髪師の家の長男として生まれた。彼の父親は町でいちばんの理髪師と名高く、毎日鋏をふるっては多くのひとを幸せな笑顔にしてきた。彼はその姿に憧れ、父親のような立派な理髪師になることをずっと夢見て育った。けれど十代の終りに病気が彼を襲った。彼の右手は二度と動かすことができない状態になり理髪師になるという夢は無残に断たれてしまった。わたしと彼が出会い恋人同士になったのはそれより最近のことだが、わたしは自分が星の子どもであるということをずっと秘密にしている。
わたしは星の子どもだ。これは彼にも言っていないけれどわたしは宇宙で生まれた。宇宙の端の昼も夜もない星雲の中から声も上げずに寂しく寂しく生まれた。流れ星になり気が遠くなるほどの時間を旅して地球にたどり着いた。星の子どもには特別なチカラがある。無事に地球にたどり着くことができたら、そこで好きになったニンゲンの願いをひとつだけ叶えてあげることができるというチカラだ。だけど特別なチカラを使うためには特別な代償を支払わなくてはいけないことになってる。願いを叶えチカラを使い果たすと、星の子どもは砕けて散ってしまう。わたしは星の子どもだ。わたしのチカラはいのちと引き換えなのだ。
散歩を終えて部屋に帰りつくと私は彼はそれぞれ寝間着に着替えて一緒のベッドにもぐった。肌を寄せて何度も互いを抱きしめ、身体を温めあった。彼は左手でわたしの頭を撫でながら、おれがお前の髪を切ってやれたらいいのにとそっと囁いた。彼の右手をぎゅうっときつく握って、わたしは泣きたくなる。わたしは彼が好きだ。わたしさえ覚悟を決めれば、大好きな彼の右手はすぐにでも元通りになるのに、わたしは今日も自分が星の子どもであるということを彼に秘密にしている。やがて彼は正しく寝息を立てる。その身体がとても温かくて、離れたくないので、わたしは泣きたくなる。