金魚の帰り道


 夕方です。バスから降りたひとりの女性が道を歩きます。彼女は人間です。朱い斜陽を背中に浴びて歩く彼女はかつて私を飼っていたひとです。一方わたしは金魚です。ずいぶんまえに死んだ金魚です。オバケの金魚です。オバケですから水中ではなく宙を泳いでいます。ところでみなさんご存知のとおり神さまに愛されたひとは死んだあと神さまのもとに行くことができます。それは神さまが人間によって作り出されたからです。ところがわたしたち金魚は神さまではなく人間たちが品種改良によって作った魚です。ですから飼い主の人間に愛された金魚は死んでから何年か経つとオバケになりその人間のもとに行くことができるのです。さて背の高い彼女はポニーテールをばさばさ揺らて住宅街を往きます。わたしは宙をひらひら泳いで彼女についていきます。わたしはオバケなので彼女に触れたりその目に映ったりすることはできないんですけど今の彼女がどういうふうに暮らしているのか確かめたいのです。そして出来れば笑顔をみたいのです。 

 わたしは金魚です。ずいぶんまえに命は終わり今はオバケです。でも生きていたころは彼女といっしょに暮らしていたのです。彼女の家の金魚鉢のなかで暮らしていたのです。一緒に暮らしていたとき、彼女は外から帰ってくるとかならず、ほかの人間が家にいなくても「ただいま」と声にだしていて、わたしはそれを金魚鉢のなかできいていたものです。「金魚のあなたにこんなこと言っても困るかもしれないけど」とあるとき彼女はわたしに言いました。「私が育った家は」と彼女は缶のお酒を口にしながらわたしに言いました。「ただいまとかおかえりがある家ではなかったから」と金魚鉢のガラス越しにわたしに言いました。「いつかただいまとおかえりのある家で暮らすのが私の夢なんだ」と寂しげに微笑んでわたしに言いました。わたしは、自分の身体に人間の言葉を話す機能がなく、彼女に「おかえり」と言えないことが、悲しかったです。

 夕方です。バスから降りた彼女はひとりで歩きわたしはふわふわ宙を泳いで彼女についていきます。やがて彼女は家にたどりつきそれは私と一緒に暮らしていたのとは違う家でした。階段を登ると扉を開けてなかに入っていきます。わたしは金魚です。さきほどの申し上げたとおり人間に愛された金魚は死んで何年か経つとオバケになってその人間に会いにくることができます。だけれど金魚がオバケれいられる時間は長くありません。わたしもおそらく日が暮れる頃にはここを去らねばならず出来ればそれまでに彼女の笑顔を見たいと思います。だけど帰宅した彼女は、部屋の明かりもつけずにソファに腰をおろして、まるで虚空を睨むような目つきで、下唇をきゅっと噛んでいました。わたしはそれが彼女の傷ついたときの表情だと存じあげています。たとえば信じていた男性に傷つけられたあとも彼女はああいう表情をしていました。仕事でいやな目にあって帰ってきた時にもああいう表情をしていました。それにこの部屋に帰宅したとき彼女は「ただいま」と口にしませんでした。

 生きていたときのわたしは縁日の屋台で彼女に出会いました。一般的に縁日の金魚はすぐに病気で死んでしまうことが多いのだといいます。もっと酷いと生ゴミのように捨てられてしまうこともあるのだといいます。にもかかわらず彼女はわたしを大事にしてくれました。水槽はいつも綺麗に保たれていました。毎日決まった時間にごはんを貰えました。帰宅したときの「ただいま」だけではなく色々な言葉をわたしにくれました。大事にされていました。それなのに彼女は彼女自身のことはあまり大事にしていなくて、添いとげるつもりのない異性を家にあげたりとか、悲しそうな顔をして煙草やお酒や薬を口にすることが多くて、そういう彼女の様子をみるのはわたしにとってもつらいことでした。嬉しいことも勿論たくさんありました。いっとう嬉しかったのは彼女がわたしに話しかけながら笑った顔や泣いた顔を見せてくれたときです。「私の仕事は楽しくなくても笑っていないといけないから」と彼女が言ったときのことはよく覚えています。「あなたの前でしか私は泣けないんだ」と言ってもらえたのでわたしは自分がはじめて役に立てた気がしました。
   
 夕方です。夕方はそろそろ終りを迎えます。彼女は相変わらずソファに腰掛けたまま下唇をきゅっと噛み締めて悲しそうなまま何も言いません。わたしがオバケでいられる時間は残りすこしです。ねえねえ神さまに愛されたひとは死んだあと神さまのもとに行くことができるのだというじゃあないですか。そしてそれは人間にとって幸せなことなのだというじゃあないですか。わたしは人間に作られた金魚なので死んで数年経ってからこうしてオバケになり私を愛してくれた人間のもとにやって来れたんです。にもかかわらずわたしは悲しそうな彼女を慰めることもできやしなくってただただ自分を無力に思うだけです。そのとき。玄関の方から何か音がしました。玄関の声で誰かの声がしました。誰かが「ただいま」と確かに言いました。すると彼女は下唇を噛みしめるのをやめて、大きな目からは涙が溢れてきて、泣いているのに笑顔になっていて、わたしが生きているときには聞いたことのないような上ずった声で「おかえり」と口にしたのでした。

あとがき

このお話と、「金魚鉢の中へ」「金魚鉢の外へ」をご依頼いただいた方からコメントを寄せていただきました。

なんていえばいいんでしょう
人生振り返って、それを言葉で紡ぐって、難しいじゃないですか
自分ではそれは難しくて
それを形にしてもらいました

語るほど綺麗な人生ではありませんでした
でも、この人生を形にしたいと思いました
形にしてもらいたいと思いました
終点を迎えたと思った人生にはまだまだ続きがあり、三遍という長い物語になりました
もしかしたらまだまだこの人生何が起きるかわかりませんが、私はまだ歩みます
ただいまって、言ってくれる人のために。

感謝の気持ちを辺川君にこめて、
まだまだ歩む皆様へ

「辺川があなたのお話を聞いて小説を書きますよ」という活動をしています。お申込み・お問い合わせは上記バナーより。些細なことでも気軽にお尋ねください。
タイトルとURLをコピーしました