ほどけて溶ける。クラゲのように

 水族館でおれはクラゲを眺める。ミズクラゲというクラゲだ。円形の水槽のなかに作られた時計回りの水流に身を任せて、収縮しながら漂う半透明なクラゲたちをおれはぼんやりと眺める。一般的にミズクラゲの寿命は半年から一年ほどだという。おれはこの水族館の年間パスポートを持っていて定期的に通っている。この水槽の様子はいつ見ても変わらないように見えるのだが、一年前にこの水槽のなかにいたクラゲは、だからもうほとんど生きてはいないのだ。前回きた時にはいたけど、今日はもういない、というクラゲが、きっといるのだろう。でも、いなくなったのがどのようなクラゲなのか、おれは分からない。反対に、今日始めて目にするクラゲもきっといるはずだが、どれがそうなのかもやっぱり分からない。ミズクラゲは身体の九十五パーセントが水で出来ており死ぬときには身体がほどけるようにして溶けて消えるのだという。そしてそのあとには何も残らない。

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「おれはさあ、クラゲみたいに死にたいと思うよ」と、午前四時過ぎのファミレスでおれはカキタに話した。「水のように溶けて何も残らないというのが、おれが死んだことに誰も気づかないというのが良いんだ。クラゲみたいに死にたいと思うよ」と。

「確かにそれは悪くないかもね」と、カキタはおれに言う。カキタは短く刈り上げた髪にストライプの入ったスーツを身につけており如何にもビジネスマンといった風貌をしている。カキタはこう続ける。「僕が小学生の時に兄貴が亡くなったんだけど時期が正月だったから火葬場がどこも開いていなくて一週間ぐらい遺体が自宅のリビングにいたんだ。ドライアイスを何度も何度も変えたが最後の方は変な匂いがした。やっと火葬できた時には、大好きな兄貴だったのに、出ていってくれて正直ほっとしたんだ。だから何も残らないというのは、良いね。良いと思う」

 カキタとのつきあいは長い。知り合ったのは十年ほど前だ。当時も彼は午前四時ごろにこのファミレスに現れ、おれもそうだった。空いている店内でお互いよく見かけるので、そのうち会釈をするようになり、会話をするようになり、そして今に至る。

 カキタは、平日のこの時間に、二十四時間営業のこのファミレスを訪れると、たいてい顔を合わせる。ここで早めの朝食を食べてから出勤するのが日課なのだという。一方のおれは、だいたい日付が変わるぐらいに目を覚まして、しばらく自宅でぼうっと過ごしてから、ここにやって来る。おれとカキタがはじめて出会ったのは十年ほど前で、空いている店内でよく顔を合わせるからそのうち会釈を交わすようになり、そのうち会話を交わすようになり、だんだん親しくなり、そして今に至る。会っている時の過ごし方は色々あり、今日のようにだらだらと喋るだけのこともあれば、彼がノートパソコンを広げて仕事の資料を作り、おれがその向かいで本を読んだりもする。だいたい午前六時頃になると会計をして店をあとにする。カキタは駅に向かい、おれは反対側に歩き出して、自分の家へと帰る。

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 おれには病気がある。とつぜん身体が痙攣し意識を失うことがある病気だ。治療の手段は確立されておらず、いわゆる難病に指定されている病気だ。薬によってある程度は発作を抑えることができるが、完全になくすことはできない。だから普通に働くことがなかなか難しく、現在は公的なお金を受給しながら生きている立場だ。障害者雇用枠で就職することは何度か試みた。だが、知っているだろうか。障害者雇用枠向けの求人サイトには求人がずらりと並んでいる。一般のそれに比べれば給料などの条件は悪いが、ずらりと並んでいる。それがどうだろう。おれの病気の名前を選択して絞り込んでみると、それらがほぼすべて、パッと消えてしまう。まるで死んだクラゲのように消えてしまうのだ。

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ファミレスの前でカキタと別れてから、おれは家路につく。今日このあと何をするかは特に決めていない。古書店で本を買って読んでもいいだろう。水族館でクラゲを見るのも良い。交差点の赤信号でおれは立ち止まる。おれの前には制服を着た男子高校生がふたり並んで信号待ちをしていた。持ち物からしておそらく野球部だろう。これから朝練に向かうのかもしれない。「おまえ進路希望もう出した?」と、ひとりが口にする。「もう出したよ。服飾の専門学校いく」と、もうひとりが答える。「服飾って、洋服つくるやつ?」「そう」「お前そういう感じだったの?」「そういう感じ。叔母がデザイナーやってるから、良いなーって思って」「なんだよ、はじめて聞いた。俺はまだ何も決めてねーよ。どうしよ」信号が青に変わる。高校生は前に進み横断歩道を渡る。おれは渡れずに、その場で立ちどまった。

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 おれのように働くことが難しく、公的なお金を受給しているひとにむけて、「働かなくて良いのは、羨ましい」といった言葉を向けるひとは、少なからず存在する。だが実際には、羨むようなものではないだろうと思う。もちろん、そういう発言をするひとには、そういう発言をするひとなりの苦労があるのだろうが、病気とともに暮らしていくことはそんなに良いものではないだろうと思う。この病気が発症するより前、おれは野球部だった。勉強だってわりとできたほうで、テストの順位はいつも学年で十番以内だった。発症する前に思い描いていた人生と、実際に発症した人生では、まるで別物だ。もしも過去にもどって、どちらかひとつを選べるのだとしたら、この人生を選ぶことはきっとないだろう。

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 信号が点滅して、ふたたび赤になる。目の前を車が通り過ぎていく。この時間帯はトラックなどの大型車両が多い。おれは想像する。もしも次の瞬間に発作が起こり車道の側に倒れ込んだなら、その瞬間にすべてが終わるのだがと。これまで幾度となく思い浮かべたことだ。

 その時、ポケットの中でスマートフォンの振動を感じた。取りだして通知をチェックすると、カキタからのテキストメッセージが届いていた。「さっき君は、クラゲのように跡形もなく消えて誰にも気付かれずに死にたいと、僕に話してくれたね。悪くないと思ったけど、君が実際にそれをするのは無理だと思うんだ」さらにこう続く。「だって、僕たちが知り合ってからもう十年も経つし、冗談みたいな話や、大真面目な話を、たくさんしただろう。それも、仕事が同じというわけでも、学校が同じというわけでもない、変な関係だ。そんな相手が死んでしまったとして、僕が気付かないなんていうのは、きっとできないだろう」

 おれの目の前を、大小さまざまな、何台もの車が通り過ぎていく。おれはスマートフォンの液晶画面に指を滑らせ「今日の四時にまた会おう」とカキタ返信する。すぐにスタンプが送り返されてくる。犬をモチーフにしたアニメキャラクターがピースサインをしているスタンプだ。信号が再び青に変わる。おれは再び歩き出して家路につく。

あとがき

たとえ10年後の将来が見えなくても、1日後に会う約束であったり、10数秒後に触れている手の温もりであったり、1秒後に聞こえてくる声や息遣いであったり、そうした小さな未来の積み重ねが、どうか希望になってくれますように。

2024/11/06/辺川銀

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