仕事を終えて帰宅するとパソコンの電源を入れて漫画を描き始める。ペンタブレットにペンを走らせて画面上のキャラクターに動きや表情を与えていく。完成した作品はインターネットに公開しているが、それほど反響がもらえるわけでもない。それでもこうして描き進めることにできる限りの時間を割いている。そんな僕の姿を離れて暮らす父が見たら「そんなものを描いて何の意味があるんだ」とか「それよりも正社員を目指して資格の勉強でもしてみたらどうだ」とか、そういうことをきっと言うだろう。たしかに僕の今の仕事は正規雇用ではなく今後収入が増える見込みは薄い。いつか両親が死んだら孤独になる可能性も結構高いだろう。でも、それならそれで別に構わない。もしも本当に人生に行き詰まったら、そのときは今度こそ死んでしまえば良いと思っているからだ。だって僕はもうすでに一回死んでいるのだから。
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「『あたり』がでたのでもう一個です」と、その人物は言った。その人物は白いスーツを着ていて背が高かったが声は子どもみたいに舌っ足らずだった。その場所はまるで白紙の原稿みたいに地面も空もどこまでも白くて僕とその人物以外には何も見当たらなかった。「わたしは死神で、ここは生と死の境目のような場所です。あなたは死んでしまったので、いま、ここに来ました」と、その人物は続けた。「しかしです。ひとのいのちには一定の割合で『あたり』が入っています。コンビニで買えるアイスバーのようなものだと思ってください。自分のいのちが『あたり』なのかどうかは死んでみてからでないと分からないんですが、『あたり』が出た場合、そのひとはもう一個いのちをもらえます。つまり一回だけ生き返れるわけです。そしてあなたは『あたり』を引きました」そこまで説明を聞き、僕はまず、嫌だなぁ、と思った。なぜなら僕は自らの手で、いのちを絶ったのだから。
僕は漫画を描くことが好きな子どもだった。でも「お前はプロの漫画家になりたいのか」と父に訊かれたときに即答できずにいたら「プロを目指すのでなければ意味がないからやめてしまえ」と言われて、それからというもの描くのをやめてしまった。小学校には行きたくなかったが両親は僕が学校を休むことを許しはしなかった。とくに苦痛だったのは体育の授業だった。僕は運動が苦手だったのでサッカーやドッヂボールみたいな団体競技では僕と同じチームになることをみんなが嫌がった。好きで学校に来ているわけでもないのに、そこにいるだけで罪人みたいに扱われることが苦痛でならなかった。受験も就活もそんな調子だった。ぜんぜんやりたくないにもかかわらず土俵にあげられて、競い合うことを強いられ、そして大抵は劣性のレッテルを貼られる。そんな人生に嫌気が差したから僕は自殺をした。就活用の黒いベルトを自宅のドアノブに結んで、首を吊って死んだ。
そういうふうに死んだので、生き返らなくていい。生き返りたくない。と、僕は死神に伝えた。けれども死神は「そういうわけにもいかないんですよ」と、両手を顔の前でわざとらしく広げながら言った。「『あたり』の辞退を希望される方は実は多いんです。例えば長いこと闘病していてようやく死んだ方とか。あなたのように自殺された方とか。まあ確かに、一回生き返ったところで病気が治るわけではないですし、人生が好転するわけでもありませんからね。ただ、だからといって辞退できるというものでもないんですよ。そもそも一回目のいのちだって、自分で選んでもらったわけじゃないんだから。『あたり』が出たらもう一個っていうのも、選択肢があるものではなく、そういうものなんです。――それではそろそろ生き返ってもらいますね。どうか良い二回目のいのちを」
生き返ると僕は自分の部屋のドアの前に倒れていた。首吊りに使ったベルトは床に落ちており金具の部分が僕の身体を支えきれずに壊れていた。自分の顔が涙や汚れでべとべとに汚れており気持ちが悪かった。けれど脈の鼓動や血管の中を流れる血の音がはっきりと聞こえて、その音に意識を向けていると気持ちがだんだん落ち着いてきた。上半身を起こすと軽く立ち眩んだ。時計に目をやると死んでいたのはほんの数分ほどだったのだと分かった。さてこれからどうしようか。もう一回死になおすことも考えたがそれはちょっと面倒くさいとも思った。一回死んだだけでもずいぶん疲れたたので、その日のうちにもう一回やるのはさすがに面倒くさい。死のうと思えば死ねること自体は分かったので、もう一回やるのは今日じゃなくてもいい。今はとにかくゆっくり休みたい。そのままベッドに行き、目を閉じて、すぐに眠りに落ちた。
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僕は漫画を描く。漫画を描くのは楽しいなあと思いながら描く。漫画を描くのが好きだなあと思いながら描く。一回死んで生き返ってから僕はまた漫画を描くようになった。子ども時代に「やめてしまえ」と父に言われてからというもの描いていなかったので今はまだ決して上手くはないし、基礎的な技術を学んでいる最中なのだけれど、『好き』とか『楽しい』といった気持ちが何かをする理由になるということが生き返る前にはあまりなかったからそのことに新鮮な嬉しさを感じながら日々を過ごしている。僕は一回死に、だからいつでももう一回死ぬことが可能だ。そう考えるとそれまで自分のものではなかった人生がようやく自分のものになったような気がした。漫画を描くかどうか、学校に行くかどうか、進路をどうするのか、いつも自分ではない誰かに決められてきた人生だったけれど、今は生きるか死ぬかという土台のところから、自分の意思で決定できるのだ。そう思ったからこそ漫画を再開できた。自分で決めた生き方の先で行き詰まったらそのときは死んでしまえば良いのだ。そう思っていたほうが、行き詰まることや誰かに叱られることを恐れて人生が自分のものではなくなるより、ずっと健全だ。だからいつでも死ねるということは、僕にとっては大きな希望なのだ。
手元に置いたスマートフォンから通知音が流れた。先日インターネットに投稿した漫画に、どこかの誰かが「いいね」をつけてくれたのだという通知の音だった。
あとがき
「いつでも死ねると思えたことで、自分の人生を自分のものだと思えた、これまでやりたくても出来なかったことに挑戦して、日々が楽しくなった」という旨のお話から、今回の物語が生まれました。
生死という重たい話題にもかかわらず、お話される雰囲気が始終明るくて、聞いているこちらまで前向きな気持が湧いてきたのが印象的でした。
2025/01/15/辺川銀