黒いウサギは寂しいと

 今日も今日とて雪が降っている。目の前にはどこまでも白い色だけが広がる。一方ボクは黒い色のウサギだ。ボクの身体はこの景色の中ではかなり目立つだろう。なのでキツネとかネコとかの気配に注意を払いながら寝床だとか食べ物だとかを見つけないといけない。

 特に重要なのは栄養の確保だ。ウサギのことを完全な草食動物だと思っているひとは多いだろうと思う。たしかに暖かい季節ならば草や木の実だけを食べて生きることも可能だ。だけど真冬ともなればより多くのタンパク質を取れる食事、つまり他の生き物の肉がなければ生き延びることができない。

 そんなわけでいまボクは昨日ワナをしかけた場所をめざして歩いている。ネズミとかリスとかがかかっていれば良いのだけど。

――

 もっとも半月ほど前まではボクだってウサギが生きるために摂取するべき栄養のことなんか考えたことはなかった。なぜなら半月ほど前までボクは室内で飼われていて、そこでは彼女から与えられるペレットさえ食べていれば事足りたからだ。

 彼女というのはボクを飼っていた人間の女の子だ。ボクは物心ついたころから彼女とふたりで暮らしていた。ボクは彼女の膝の上に乗って寝るのが好きだった。彼女はボクを毎日なでてくれたし、絵本を読み聞かせたり、セーターや靴下を編んでくれたり、近所の公園に連れていってくれたりなんかもした。それから“メメ”という名前もつけてくれた。「私はメメのことがすごく大好きなんだよ」と彼女に言われると、ボクはとっても嬉しい気持ちになった。「キミたちウサギはさみしいと死んじゃうんでしょう?」とか、「私もメメがいないと生きていけないよ」とか、「私とメメは同じなんだね」とか、そういう言葉をかけてもらえることもすごく幸せだった。

 そう。彼女はボクのことを大切にしてくれた。ボクも彼女を大切に思っていた。だけれど彼女は、彼女自身のことを大切にすることができないようだった。自分のことを大切にできないぶん、ほかの誰かから大切にされることをすごく求めていて、そのためだったらどんなことでもした。とても信用になど値しそうにない人間の男を家につれてきては、決して差し出してはいけないであろうものまで差し出してしまっていて、ボクはその様子をケージのなかから眺めているのがとても悲しかった。なんで彼女はボクが大好きなのに、ほかのひとからも好かれたがるんだろう。

 彼女はまた、人間関係をつなぎとめるために自傷行為をすることもけっこう多かった。実際に目の前で血を流す彼女の姿を見て「これは放っておけない」「助けてあげなければ」と、彼女のそばにいようとする人間の男もなかにはいたのだけど、そうやって保たれた関係は結局長く続くことはない。短期間ならつなぎとめられても、長期的には男のほうが、彼女の支えになることの難しさに耐えられなくなってしまい、やがて離れていくのだ。

「やっぱり私を見捨てないのはメメだけなんだよね」男が離れていってしまうと、そのたびに彼女は、ボクを膝の上に乗せながらそういうことを言った。「私にはもうキミしかいないんだ」と。だからボクが、このボクが彼女を助けなければ行けないと思った。だって彼女にはボクしかいないのだから。

――

 今日も今日とて雪が降っている。目の前にはどこまでも白い色だけが広がる。ボクはそれはもうお腹が減っていて、足取りもふらつき、今日中にでもタンパク質にありつかなければちょっと命が危ういだろうと思う。だからこうして、昨日ワナをしかけた場所をめざして歩いている。
 
 ボクに栄養のこととかワナの作り方とかを教えてくれたのは彼女のもとから離れて一週間が経った頃にたまたま出会った初老の白いウサギだ。そのとき白ウサギは木陰に隠れて肉を食べていた。木の枝や蔓、それから人間が捨てていった針金なんかを組み合わせて作った自作の弓矢でネズミを狩り、冬の間に必要な栄養を確保しているという。「ウサギが肉を食べるなんて!」とボクは思わず声をあげたけれど、白いウサギは淡々とした口調で「この地域で生きてるウサギにとってはごく普通のことだよ。冬が厳しい分、肉を食べてしっかり栄養をとらんといかんのだ。そうしなければ生きていけないのだ」とボクに説明した。

 それから白いウサギは「せっかくだから狩りのやりかたを教えてやる」と言った。「ただしあんたは色が黒いから、雪の中では悪目立ちしていけない。弓矢とかより、ワナをしかける方が向いているだろう」と。そんな経緯があり、木の枝を組み合わせてトラバサミのようなワナを作る方法を、ボクは彼から習った。

 そして白ウサギと出会った翌朝。寝床にしていた木の洞から外に出ると、ボクはそこにキツネの姿を見た。キツネというのはいうまでもなくウサギの天敵だ。その瞬間ボクは、ああ、今日死ぬんだと思った。だけど実際には、キツネがボクに向かってくることはなかった。なぜならそのキツネは、すでに狩りを成功させており口に獲物をくわえていたからだ。くわえられていたのは、前日ボクにワナの作り方を教えてくれた白いウサギだった。キツネは子ギツネを三人連れていた。子ギツネたちはぴょんぴょんと跳ね回って親の仮の成功を喜んでいるようだった。子ギツネたちはいずれも痩せていた。白ウサギをくわえたキツネの表情には喜びよりも安堵の色が浮かんでいるようだった。

――

 さて。ボクが彼女のもとを離れたときのことも話さないといけない。半月ほど前、ボクは自ら彼女の家を出たのだ。彼女が仕事に出かけているあいだ、「あなたが自分を傷つけるのが悲しいので、公園で暮らすことにします」と書き置きを残すと、ボクは窓を開け、あの暖かい部屋をあとにしたのであった。そしてその行動は、彼女はボクがいなくなれば必ず探しにきてくれるはずだと、そういう確信に基づくものだった。そうすればそれ以降は、ボクを失わないよう自分を大切に生きてくれるだろうと。だって彼女は「ボクがいないと生きていけない」のだから。

 でも、部屋をあとにしてから二日が経過しても、三日が経過しても、彼女が公園にボクを探しにやってくることはなかった。公園にいるということは書き残してきたのにどうしてなのだろう。疑問に思いながらも、ボクは彼女の迎えを待ち続けた。四日目の夜にはネコに襲われかけた。公園に長居することも難しそうだった。

 部屋を出てから五日目の朝。さすがにおかしいと思ってボクは彼女の様子を見に戻った。窓の外から部屋のなかを覗いた。するとそこには彼女の姿があった。そしてその膝の上には、ボクではない、別の黒いウサギが座っていたのであった。

「メメ」と、彼女はボクではない黒いウサギを、ボクの名前で呼んだ。「前のメメはいなくなってしまったけど、キミはいなくならないでね。メメがいないとわたしは生きていけない」

 それを聞いてしまった、ボクはもう、ただただその場を立ち去るしかなかった。

――

 今日も今日とて雪が降っている。目の前にはどこまでも白い色だけが広がる。昨日ワナをしかけた場所を目指して歩いているが足取りがふらつく。ずいぶん痩せてしまったはずなのに身体が重いと感じる。いまキツネとかネコに襲われたら逃げおおせるのはまず不可能だろう。そして何よりあまりに寒すぎる。ワナに何もかかっておらずタンパク質を取れなければいよいよ本当に死ぬんだろうと本能的にわかった。意識がだんだん曖昧になっていくなかでボクにワナの作り方を教えてくれた白うさぎの最期のすがたが浮かぶ。その身体をくわえたキツネと、そのまわりを飛び跳ねる三人の痩せた子ギツネたちの姿を、ぼんやり思い出す。すると不思議なことに、死ぬことがそれほど恐ろしくないような気がしてくる。

 そしてなんとか、ワナをしかけた場所にボクはたどりついた。そこにはリスが一匹、ボクの作ったワナに足を取られて命を落としていた。ボクはワナを分解して、リスの身体をそっと抱き上げた。

あとがき

今回はてんすけさんからテーマをご提案いただき、書かせていただきました。

はじめまして、今回辺川さんに依頼いたしましたてんすけ(@harukist_sir)と申します。
辺川さんには私から提案したテーマに沿ってご執筆いただきました。
僭越ながら、私も同じテーマで一筆しておりますので、もしご興味ありましたらご一読いただけますと幸いです。
https://note.com/tennosuke_iekawa/n/n6a5e93871b29

「辺川があなたのお話を聞いて小説を書きますよ」という活動をしています。お申込み・お問い合わせは上記バナーより。些細なことでも気軽にお尋ねください。

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