犠牲にしても良いのは「自分を幸せにしないもの」で、犠牲にしてはいけないのは「自分を幸せにするもの」なんじゃないかと思う。
そもそも「幸せってなんだろう」というところについては諸説あるけれども、僕は「自分にとって大切なものを大切にできている状態」だと考えているので、今回はこの定義に則って話を進めていくね。
ここでいう「自分にとって大切なもの」は本当にひとそれぞれで、「家族と過ごす時間」が一番大切だというひともいれば「仕事で結果を出す」ことが大事だというひと、「たくさんの映画や本に触れる」とか「自由な時間を持つ」というひとも居る。みんな違って良いし、それぞれの間にはまったく優劣がない。人それぞれの「大切なもの」を大切にすることが幸せだと思う。
「大切なもの」がそれぞれ違うのなら、「大切にする」のやり方もそれぞれ違って当たり前だよね。「イヌを大切にしている人」と「金魚を大切にしている人」では、「大切にする」ために買ってくる餌の種類も勿論ぜんぜん違う。
決してみんなと同じでなくても良い、自分の「大切なもの」を、それに対して適切な方法で「大切にする」というのが重要。その結果たとえ周囲と違う行動を取ることになっても。「大切なもの」が違って「大切にする方法」も違うわけだからまったく問題ない。
一方、
「人間は誰でもコレをやっておけば幸せになれるよ」という人たちが世の中にはたくさん居る。「家族と過ごす時間」がいちばん大切だと思っているひとに対して「単身赴任をしてでも海外で働くのが幸せ」という人が居る。「ひとりで仕事に打ち込むこと」を大切にしているひとに「早く結婚しなきゃ幸せになれない」という人が居る。そういう人が誰の周りにも、どうやったって居る。でもそういう人たちのいうことは耳を貸さなくても良い。質問してくれた方の言葉を借りていうならば「犠牲にしても良い」。
なぜなら彼らの価値観は自分の「大切なもの」を大切にすることにあんまり繋がらないから。自分を幸せにするものではないから。
周囲との違いや部外者の声を気にして、自分の「大切なもの」、自分の幸せを犠牲にしてはいけない。
みんな幸せになろう。
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