木で出来た小箱がある。私はそれを手のひらに乗せてみんなに見せびらかした。これは魔法の箱だとみんなの前で言った。最初に開けたひとの願いをひとつ叶えてくれる魔法の箱だと言った。私のことをいちばん喜ばせてくれたひとに譲ることにすると宣言した。その日を境にみんなが私のご機嫌取りを始めた。ある男の子は私に飴玉をくれた。飴玉は三つあってどれも違う色をしていた。私はそれを舐めた。甘い飴玉だった。けれど舐め終えた後、私はわざと顔をしかめて見せた。こんな飴玉いくらくれても魔法の箱をあげることは出来ない。キャンディをくれた男の子に対してそう言い放った。男の子は悲しそうな顔をしていた。
木で出来た小箱がある。私はそれを常に持ち歩いた。誰も彼もが魔法の箱を欲しがった。誰も彼もが魔法の力で願いを叶えたがった。だから私の我儘だってみんなが聞いてくれた。魔法の箱を持っていれば私はまるで女王のように振る舞うことが出来た。絵描きの男は私をモデルに油絵を描いてくれた。出来上がったのは色が鮮やかな絵だった。描いてくれたことを私は嬉しく思った。だけど私は不機嫌を装って絵描きの男に言った。こんな退屈でくだらない絵をいくら描いたって魔法の箱をあげることは出来ない。絵描きの男は残念そうに肩を落としていた。
木で出来た小箱がある。箱を欲しがるすべてのひとは私の命令に決して逆らわなかった。この箱を持っている限り周囲のひとびとは私にとって奴隷と同じだった。ある時ひとりの老人が私の前に姿を現した。老人は白い髭を生やしておりみすぼらしい見た目をしていた。老人は私に訪ねた。あんたはどうして自分自身で箱を開いて願いを叶えないんだ? 老人の質問に私は答えなかった。答える代わりにみんなに命令した。あの老人を私に近づけないで! すると屈強な男たちが三人がかりで老人を捕えて遠くへ連れて行った。老人は二度と私の前に姿を見せなかった。
老人に出会ってからというもの私は日々を怯えて過ごすようになった。私は確信していた。あの老人は箱の秘密にきっと気付いている。気付いたうえで、みんなの前で秘密を暴くために私に近づいたのだ。私は大きな嘘をついている。それが木箱の秘密だ。木箱の中は実は空っぽなのだ。魔法の力で願いが叶うなんて真っ赤な嘘なのだ。この嘘がばれたら私はきっとみんなに憎まれる。嘘をつき通すのは不可能かもしれない。きっとまた誰かが秘密に気付くだろう。あんな老人にも見破られたのだ。約束通りに木箱を誰かに譲ることもできない。受け取った誰かが箱を開いた場合も、私の嘘はばれてしまうからだ。私はもうどうすることもできない。
ある女の子に出会った。女の子は以前の私に良く似た顔をしていた。女の子は花を一輪くれた。萎れた薔薇だった。薔薇を受け取ると刺が指に刺さった。私の指から少量の血が流れた。どうしてこの薔薇をくれるの? 私が尋ねると彼女は、なんだかあなたに似ている気がしたからだと答えた。何かお礼を頂戴と彼女は私に言った。何が欲しいの? 私は質問した。彼女は私の木箱を指差した。私は慌てて首を横に振った。この箱だけは譲るわけにはいかない。けれど彼女は言った。その箱の中が空っぽだって私は知ってるよ。私は絶句した。彼女は喋り続けた。知っているけど私はその箱が欲しいの。私は黙って箱を差し出した。彼女は笑って、それから箱を開いた。あなたの嘘は嘘ではなくなったと、彼女は静かに言った。私はその場で泣いた。