仕事を終えてビルの外に出た。夜の空気を肌寒く感じた。数分歩いたところにあるコンビニの駐車場に彼の車があった。あたしは助手席の扉を開けて中に乗り込んだ。「おつかれさま」と彼はあたしに言った。あたしも彼に同じように言った。車は走り出した。
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あたしには父がいない。母にとってあたしは、望ましい形で発生した子どもではなかった。母はあたしを愛してくれたけど、同時にほんのわずかに、あたしの存在を疎んじる気持ちも持っていたと思う。立派な母なので、その暗い気持ちをあたしに悟られないよう、常日頃から努めてくれてはいたが、一度だけひどくお酒に酔い、「私だって、あの時、妊娠しなければ」と、とても悔しそうに、言ったことがあった。
高校を卒業するとあたしは、地元の写真店でアルバイトをするフリーターになった。アルバイト先にあの写真店を選んだのは、一定期間勤めれば正社員になれる制度があったからだ。「大学に行っても良いのよ」と母は言ってくれたが、奨学金を借りてまで勉強したいことは特になかったし、それより早く経済的に自立したかった。
写真店で取り扱う写真は、家族写真、中でも親が子どもを撮った写真が、非常に多かった。世の中の親たちは子どもの成長を写真に残すものなのだとあたしは、ここで初めて知った。
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「夕飯どうしようか」と、車の運転をしながら彼はあたしに尋ねた。なんでも良いよと、あたしは返事をした。すこし話し合い、ファミレスにでもよって適当に済ませようということに決まった。カーオーディオはラジオ番組を受信し、どこか淋しげな外国語の歌をスピーカーから流した。
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彼と出会った時、あたしは十九歳になったばかりだった。アルバイト先の写真店に、彼は客として、たびたび訪ねてきた。彼は美術大学に通っていて、写真家になることを夢見る男だった。ある日会計を済ませたあと、「写真のモデルになってほしい」と、彼は突然言った。
あたしは驚いた。実の母親からだって撮られた経験がほとんど皆無なのだ。そんな自分を誰が取りたがる人間なんているわけないじゃないか。そう訝しんだ。けれど一方で、自分だって誰かに撮られてみたいと、飢えにもにた気持ちを抱く自分もいた。彼の申し出をあたしは承諾した。
写真を撮る過程で、彼はあたしに様々なものを与えた。映るのに相応しい洋服を与えて、髪型も整え、化粧の仕方まで詳しく教えてくれた。そうして彼の写真に映るあたしは、月並みだけれども、あたしではない別人のように見えた。にもかかわらず彼は、「モデルが君だから撮れた写真だよ」と、何度もあたしに言った。
撮られ続けるうちに、あたしは彼と恋人同士になった。彼はモデルとして、女として、あたしのことを必要としてくれていた。あたしの方も自分を望んでそばに置いてくれる唯一のひととして、男として、彼を必要とした。いつしか、あたしたちは、お互いが居なければ生きていけないと思うようさえなった。そういう関係を幸福なのだと思った。
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ファミレスにたどりつくと、あたしはパスタとサラダのセットを、彼はハンバーグ定食を注文した。店内は暖房がずいぶん効いていた。ちょっと暑いねとあたしが呟くと、彼は頷いた。ハンバーグを半分ほど食べ終えたところで「そういえば君に相談しないといけないことがある」と彼は切り出した。
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お互いが居なければ生きてさえいけない。そう思っていたあたしたちの関係に変化が生じたのは去年の末頃だった。きっかけ、彼があたしを撮影した写真が、大きなコンクールで賞を取ったことだ。彼は写真家として世の中から注目されるようになった。仕事として、あたしだけではなく、様々なモデルを撮影するようになった。
片やあたしの方も、写真のモデルとして、彼だけでなく色々なひとから撮られるようになった。そして何人目かの写真家に自分を撮られた時、あたしはふと気づいてしまったのだ。もうあたしは、彼が居なくても生きていけるのだと。彼が居なくても、今やあたしを写真に撮ってくれるひとはたくさんいるのだと。そしてそれはおそらく、彼も同じだろうと。
あたしたちは、お互いが居なくても生きていけるようになってしまっていた。
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「そういえば君に相談しないといけないことがある」そう言って彼があたしに見せたのは、スマートフォンの画面だった。表示されていたのは通販のサイトで、カーテンの画像が二枚、並んで映っていた。「家のカーテンを買い替えたいんだけど、どっちが良いと思う?」二枚のうち、ひとつは青色で、ひとつは灰色だった。青い方が良いとあたしは返事をした。「じゃあそうしよう」と彼は笑い、残りのハンバーグを口に運び始めた。
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あたしたちはもう、お互いが居なくても生きていけるようになった。にもかかわらずあたしは以前よりも、彼のことを大切だと、感じることが増えた。大切にされていると思うことも増えた。