僕は旅芸人だ。師匠とふたりで各地を旅し、行く先々で手品を披露して暮らしている。自分でいうのも何なのだけど、この頃けっこう名前も売れてきた。特に評判が良いのは、掛け声ひとつでお客さんの身体とか持ち物を宙に浮かべる芸だ。種も仕掛けもきちんとあるのだけど、それはここでは秘密にしておきたい。
今日。僕は旅芸人になって以来はじめて、自分が生まれ育った街に帰ってきた。駅の傍にある会場で公演を行い、普段どおりに、得意の芸を皆に披露した。客席には見知った顔はなく、見たところ他所の街からわざわざ見に来た金持ちばかりだった。芸を終えた後で僕に向けられた拍手は、他所の街で同じことをやった時と比べて、心なしか少ないように感じられた。僕の次に芸を披露した師匠は、いつものように大喝采を浴びた。
公演を終えてから宿に戻り、シャワーを浴びていると、どっと疲れを感じた。普段どおりの公演をしたことによる疲労感だけではなかった。シャワールームを出ると、テレビを見ながら手品道具の手入れをする、師匠の姿があった。師匠に訊きたいことがあります。僕は声に出した。すると師匠はテレビの方に目線を向けたままで、静かな笑みを口元に浮かべた。
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僕が生まれ育ったこの街は、とても貧しい街だ。数十年前には炭鉱として栄えていたそうだが、僕が生まれた時にはもう、既に石炭は取り尽くされており、かつての鉱夫たちは仕事を失くしていた。職を持たない大人たちは、来る日も来る日もゴミの山を漁り、その中から使えそうなものを売って暮らしていた。
そんな大人たちの姿を見て、多くの子どもたちは、自分たちも同じような人生を歩むのだと心に刷り込まれた。大人になれば豊かに暮らせると考えている子どもはほとんどいなかった。こんな街に生まれてしまったのだから、貧しさは仕方がないという考え方が一般的だった。
僕自身は、幼い頃からその風潮をとても嫌だと感じた。貧しさそのものも嫌だったのだけれど、それ以上に、ここに生まれたからといって豊かさを諦める周囲の卑屈さを、強く嫌悪した。いつか自分は豊かになってやる。いつか豊かになって「自分たちはこの街に生まれたから豊かにはなれない」なんていっているやつらに、その間違いを認めさせてやるのだ! そんなことばかり考えて、子ども時代を過ごした。
そんな僕にはふたりの恩師がいる。そのうちのひとりは、僕の実の兄だ。学校に行けなかった僕に、兄は文字の書き方とか、本の読み方を教えた。兄は僕と同じく、この街の貧しさとか、貧しさに屈するひとびとの心に不満をいだいていた。そしてある日、兄はたったひとりで街を去っていった。野心だけを持って旅立っていく背中は、当時の僕にとって、大きな手本になった。
兄が旅立ってから二年後、僕も街を捨てて、何のあてもないまま、都会へ旅立った。都会は華やかだったが、そこで仕事を見つけ、生活していくのは簡単なことではなかった。お腹は常に空きっぱなしだったし、公園で野宿をする術ばかりが上達していった。いよいよのたれ死んでしまうのではないかという不安に駆られ始めた頃、どういうわけだかひとりの人物が「私と一緒に旅芸人にならないかい?」と僕に声を掛けた。この時出会った師匠が、僕にとってのふたり目の恩師だ。
それから師匠と一緒に十年近く旅芸人を続け、自分の芸も幾らか身につけた。職業柄、立派な家を建てることこそ難しいのだけど、それ以外のものなら、ほしいと思った時にたいてい購入できる。子ども時代を考えれば、ずいぶん豊かな大人になれたと思う。
そして今日、僕は旅芸人になって以来はじめて、自分が生まれ育った街に帰ってきた。公演を行う前、僕は街の中を少し、ひとりで歩いた。住民の多くは相変わらず貧しく、また貧しさから抜け出そうという気概も伺えなかった。その様子を眺めながら散策していると、子ども時代に感じていた嫌悪感が、僕の内面から顔をのぞかせた。けれどその一方で、僕は豊かになった、この貧しさを僕は克服したぞ、僕はお前らとは違うぞと、勝ち誇る気持ちも、同時に湧き出てきた。
そんな時だった。路肩でゴミを漁るひとりの男性が、こちらをずっと眺めていることに気づいた。男性はやせ細り、髪はぼさぼさで、顔の下半分はひげに覆われていたけど、それでも見間違うことなんてあるはずがなかった。それは間違いなく、この街の貧しさを呪い、貧しさに甘んじる人々を嫌い、僕より先に街を出ていった兄の姿だった。
反射的に、僕は踵を返して走った。師匠のもとに戻り、何も見なかった素振りをして、駅の傍にある会場で芸を披露した。芸に対する拍手は心なしか拍手は少なかった。僕は始終、自分の心の中で起こる泡立ちから目を逸らせなかっった。
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師匠に訊きたいことがあります。公演を終え、宿に戻ってシャワーを浴びた後で、テレビを見ながら手品道具の手入れをする師匠に向け、僕は声に出した。初めて出会った時、師匠はどうして「旅芸人にならないか」なんて、誘ってくれたのですか。あの時の僕はただの小汚い、貧しさに負けてしまいそうな、子どもに過ぎなかった。そんな僕などのことを、どうして師匠は拾ってくれたのですか。どうして他の者ではなく、僕だったのですか。
すると師匠は、すこしの間を置き、それからゆっくりと口元を動かし、僕の質問に答えた。「それは本当に、ただの偶然だよ。私はあの時ふらりと外に出て、ああそうだ、この後いちばん最初に出会った家のない子どもを、この旅に誘おうと、心に決めていたんだ。そしてたまたま最初に出会ったのが、お前だった。もしも最初に出会ったのが、他の子どもだったら、私はその子に声を掛けただろう。まるきり、それだけだよ。あれは偶然で、巡り合わせだった」
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それから僕はふたたび、生まれ育った街を、ひとりで散策した。路肩でゴミを漁る人たちの背中や手付きを眺めた。無気力な様子で、地面に寝転ぶ子どもたちを眺めた。彼らの姿を見ても、憎悪したり、蔑んだり、見下したりする気持ちは沸いてこなかった。僕は豊かになったが、僕と彼らの間に、おそらくそんなに大きな違いはないのだなと思った。僕にとって都合の良い巡り合わせが、ほんのちょっぴりだけ、あったというだけなのだ。
「ねえあなた。旅芸人でしょう」不意に聞こえた声に振り返ると、そこには十歳ぐらいの、ひとりの子どもが居た。細い身体は酷く汚れており、男の子なのか、女の子なのかも、判別ができない。子どもは意志の強そうな両目で、僕の顔を、じっと捉えながら続けた。「おれを連れて行ってよ。雑用でも。客引きでも。なんだってやるから。おれをこの街の外に連れだしておくれよ」