ダイヤモンドさんの「こんなに働く時間を減らして、日本企業は世界で勝てるのか?」という記事を読んだ。
要約すると、
「効率化しよう残業を減らそう」という風潮があるが、
働く時間を減らすと国際競争力が下がるので、
キャリア採用を復活させて、
プライベートを犠牲にして働きまくりたいヒトと、
定時上がりで収入ソコソコみたいなヒトを
採用段階で分けたら良いんじゃないの。
みたいなことが書かれている。
「ガッツリやるか程よくやるか選べるようにすればいいじゃない」
というあたりについては基本的に賛成するけれども、
全体的に「ガッツリやるひとは正義」「ソコソコのひとは虫けら」
みたいな論調で書いてるなーって感じるのが感情的にちょっと引っかるし、
ズレてるな―とも思う。
「○○しないと国際競争力が~」みたいなことを謳うひとたちって大抵、
「国際競争力を高めるのはすごく大切なことだ」
という前提に立って喋っちゃってる感じがするんだけど、
「じゃあどうして国際競争力が必要なの?」
というところにはあんまり言及してないような気がするので、
最初から意見の近いひとはまァ賛同するんだろうけど、
そうでないヒトを説得するほどチカラのあることばは中々出てこない。
つまり説得力ないよねーと思う。
いやなんかね。
僕らがフツーに生活してて「国際競争力」が高まるんだったら、
まぁ勝手に高めてどうぞって感じなんだけどさ。
「国際競争力」或いは「組織の成長」とかいうものを高めようとして、
それと引き換えに「個人の幸せ」っていうのが、
少なからず犠牲になるような場面がしばしばあるわけじゃん。
例えばプライベートを減らしてでも残業多くしなきゃとか。
会社のためなら無理な転勤も納得してくださいとか。
でもそういう時、
「国際競争力」とか「会社の利益」っていうのは、
犠牲になっている「個人の幸せ」よりも本当に尊いのか?
それは僕ら「個人の幸せ」を差し出す価値のあるぐらい大事なもんなのか?
もっというと、
「国際競争力」と「個人の幸せ」の両者が、
今よりもっと食い違うようになってしまった時、
社会全体としてはどっちを大事に出来るようにしたいの?
どっちを優先するような社会を作っていきたいの?
というあたりを論点にしたお話をさ、
もうちょっと手広くやってくれたら良いなーと思うよ。