線香花火はかならず寂しく終わる


 線香花火をした。
 八月の最後の日の夜中に。
 一年ぶりに再開した男の子とふたりきりで。
 わたしたち以外には誰も居ない児童公園のすべり台の前で。
 男の子が持ってきたライターによって着火された線香花火はその先端にまるで小さな恒星のような数ミリほどの火球をかたちづくり、かすかな音をぱちぱち鳴らしながら枝葉のような細い火花を散らした。男の子とわたしはその様子を息を潜めて見つめた。
 男の子とわたしは互いの名前を知らない。
 住んでいる場所も知らなければ携帯電話を鳴らすやり方も知らない。
 だけど毎年いちどだけ、八月の最後の日の最後の一時間を、この公園の滑り台の前で線香花火をしながらお互いの近況を報告しあって過ごすということだけが、もう五年ものあいだ、少しも形を変えることなくずっと続いている。
 だけど毎年いちどだけ、八月の最後の日の最後の一時間を、この公園の滑り台の前で線香花火をしながら、お互いの近況を報告しあうといういうことだけが、最初に出会った高校生の頃から、もう五年間のあいだ少しも形を変えることなくずっと続いている。
 この一年はどういうことがあった?
 線香花火の火球が地面に落ちて壊れて消えてしまうと、男の子は低い声でわたしに質問した。
 去年もそうしたように。

 あのねぇわたし去年の年末に恋人ができたの。
 出会った場所は大学の構内だったんだけど彼は大学院に籍を置いていて学者のたまごだった。見た目は特に格好良くも醜くもなかったけど手の指の形が特徴的だったの骨ばっていて細くて長くって。知り合ったあと何度かセックスしてそれから付き合い始めたんだけど彼は大学院で岩肌とか地面の表面に生えている苔の研究をしていたから彼がわたしに話すことといえば苔のことばかりだった。もちろんわたしは苔について詳しいわけでもなければ興味も全然なかったから彼の喋ることをほんの半分も理解できなかたけれど別にそのことについて苦痛だとか感じたことはなかった。わたしが全然理解できないことを一生懸命話して訊かせてくれる彼は親のように見えるようなこともあれば赤ん坊みたいに感じることもあってむしろ気に入ってた。だから付き合い始めてから半年ぐらいが過ぎるとわたしは余り自分の家に帰らなくなったし週の半分は彼の家のベッドで眠るようになったよ。
 でもねこれは去年この場所であった時にも話したと気がするしその前の年にも喋った気がするけど多くのひとが出来て当然だというふうに考えていることの中の幾つかがわたしにはどうしてだか上手に出来ないんだ。もちろん普通に出来ることのほうが多くて例えば恋をすることはできるし相手のことを愛することだって出来るわけなんだよ。だけれどわたしは愛したものを大切にするということが上手く出来ないの。実はこの悩みについて大学のカウンセラーに相談をしてみたことがあるんだ。すると話を聞いた三十路ぐらいのカウンセラーの女はよりにもよって精神科を受診したらどうってわたしに勧めてきたんだけど、正直なところわたしは自分の、愛するものを大切に出来ないということが病気だなんてピンとこなかったから、それからというものカウンセラーとかいうものを信用するのはやめてしまおうと思った。兎に角わたしという人間はそういう性質をもっているもんだからこれまでに幾つかの恋愛を経験してきたけどその中のひとつとして大切にすることは出来なかったわけだよ。そして大切にされていないものというのは人間でもそうでないものでも大抵の場合壊れてしまうから。わたしが経験したこれまでの恋愛はいつも相手を壊したり困らせたりすることによって幕を下ろしてきたんだ。
 だから去年やその前やその前やその前の恋愛がそうだったのとまったく同じように今回の恋愛も駄目にしてしまった。彼がわたしを構ってくれない時には彼のパソコンとか携帯電話とかを窓から投げ捨てたしなかなか帰ってきれくれない時なんかは大学の研究室に乗り込んだりもした。彼の顔を最後に見た日には彼の家の本棚に並べられていた百冊以上の苔に関する本を一冊残らず破り捨てるということをやってしまったけど、どうしてそんなことをしてしまったのかというと彼はいつも苔の本を読んでいるものだからそれによってわたしは、自分の価値はこんな苔なんかにも劣っているんだろうなというふうに考えて悔しくなってしまって、この悔しさを克服するためにはこの本たちを一冊残らず始末しなければいけないという衝動に駆られたんだ。本がなくなって空っぽになった本棚を眺めながら彼は何分かのあいだ呆然と立ち尽くしてそのあと、もう二度と来るな、と言ってわたしを追い出した。わたしは彼に恋をしていたし彼が大切にしている自分以外のものを徹底的に根絶やしにしなければいけないと思うほど彼を愛していたから追い出されたのは悲しかったんだけど、追い出されてから三十分も過ぎると、ああ今回の恋愛も楽しかったなって思ってけろりとしていた。ちょうど線香花火の火球が落ちた時みたいに。

 わたしが話を終えると男の子はライターを取り出し新しい線香花火の先端にそっと着火した。
 名前も連絡先も知らない男の子はライターの扱いに慣れている様子なので普段はもしかしたら煙草を吸うのかも知れないとわたしは考えた。
 八月はあと三十分ほどで終わり九月がやってくる。
 線香花火というのは火を点けた時点で最後は必ず寂しい気持ちで終わると決まっている。だけど寂しい気持ちで終わるからといって花火をしたことそのものに後悔したりはしないしまた次の一本に火を点けたくもなる。 
 やがて持ってきた線香花火が全て終わってしまうとわたしたちは立ち上がって、年に一年だけ顔を合わせるこの関係はこれから先も続けていきたいしまた来年もここで花火をしようねということだけを約束してお互い頷き合いった。それから公園の入り口を出たところで右と左に別れた。 
 

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