学歴について本気だして考えてもらった【ウルトラスーパー猫会議01】

先日。Twitterで仲良くしている石木川獺さんが、こんな短歌を詠んでおりました。

学歴で私を舐めた店長と 副店長よ、覚えてろクソが

石木川獺

すごい力強さ。恨みつらみを詠んでるはずなのにパワフルすぎて読後の感じがなんだか清々しい。……ところで「学歴」っていったい何なんでしょうか?

ここでぺんかわ自身の学歴について話すと「大学中退」あるいは「高卒」ということになるのですが、これまで生きてきて「学歴がなくて困った」ということはあんまりありません。今やっている仕事は10代の頃からやりたいと思っていたことなので、仮に学歴があっても、今と同じ仕事を志していただろうし、今ある困りごとは同じように困りごとだったでしょう。

過去一週間以内に会って話したひとたちを思い出してみても「中卒」から「東大卒」まで一通り顔が思い浮かぶし、別け隔てなく仲良くしてもらっているので、普通に生活していてそんなに「学歴」というものを意識することはありませんでした。

……とはいえ僕が苦労しなかったからといって「学歴なんて不要なもの」と結論づけちゃうのも凄く乱暴ですね。「自分がこうだったからみんなも同じだろう」と考えてしまうのはあまり良くないことです。なのでこの機会に「学歴っていったいどんなものなんだろう?」というのを、改めて考えてみたいなぁと思い、Twitterのフォロワーや周囲のひとたちに「あなたにとって学歴とは?」ということでお尋ねしてみました。

いただいた回答を以下に並べていきます。

自分がそういう風に見られたからですが、人を見る指標の一つになってしまうのだな、と考えました。今の世の中は、大学でやったことより、ブランド名の方が重要なんだなって。どんな研究をしたのか、何について追求したのかが大事なのに、大学名一つで潰されてるなと。
私の通っている大学も、割とそう言った偏見の目で見られがちな所があります。馬鹿馬鹿しいけど、それが世間様の評価なんですね… と思ってしまいますね。
(LINEで貰った意見)

色あせた勲章。努力の成果だが過去のもの。でも、たまにその色眼鏡がかかる。
やみねこさん)

知識を蓄えたうえで、論理的に物事を考えて、それを表現できるかどうかを示す、モノサシの一つかと。いわゆる「高学歴」と称される大学ほど、入学・卒業するためにはこれらの能力が必要なので。
(非公開アカウント)

中身の無い(という自己評価の)人間にとっては一生はがせない負のレッテルになりうる。
(非公開アカウント)

(高・の場合)困った時の救済カード。だいたい、内面・対人・社交面に関わる能力での平均より下、なときにのみ発揮される。その能力が平均以上なら、そのカードがあってもなくてもかわらない。しかも「学歴」がほしい相手がうようよ近づいてくる可能性も……。
(低・の場合)呪い。または現状の他責性の自己弁護カード。まず語らない。語るメリットは、影響がない、より負に触れる。
内面・対人・社交面に関わる能力が平均より上の場合、「冗談の素材」風にして、巨大な黒字が担保できる場合のみ使用する。呪いが原動力へ転化することもある。学歴は卒業するもの。
大山ささらさん)

自分の学歴…ベルマークみたいな物ですかね?
集めてはみたけど使わない。
入学した時点で高学歴と勘違いしてる人が多いけど、本当の高学歴は卒業までしたこと。
あと意外とベンチャー起業の偉い人は三流大学中退者が多い。多分今後の道筋の見極めがうまいから。
もっちゃんさん)

・ひとを縛るもの
・格差社会の表出。よって”努力指標”となるのはごく一部の社会でのみ
・「すごいですね」の一言をうまく受け止められない。心が離れる
・自分がいざ高学歴(笑)の立場になり、人にそういう目で見られ続けていると、自分もそういう色眼鏡をかけてしまう瞬間がありとても悲しくなる。
(非公開アカウント)

地方国立大卒が東大卒と同じ意味を持つ田舎では在学中〜就職後はそれさえあれば讃えられるもので、社会からドロップアウトした瞬間に後ろ指刺される材料になるものだった。
村谷由香里さん)

あると便利、ないと不自由だから勝ち取りに行くものという認識です。が、学歴が無くとも自由に生きている人も多いことが最近分かりました。しかしそれを認めると、一般に高学歴とされる自分の存在が薄れていくようでまだ認識を変えるまでに至ってません。学歴=固執してしまうもの かもしれません。
(非公開アカウント)

難しい問題ですね。
僕は別に高学歴ではないですが、一応大卒なので『大卒なのにフルタイムで働かないのはもったいない』と言われたことは何度かありますね。
労働にフルコミットできる能力は、大卒かどうかは全く関係ないと思ってます。
職種にもよると思いますが、勉強と仕事は別なので。
宮内梧朗@ライターさん)

努力を結果に結びつけられることをアピールできる材料のひとつだと思います。私は学生時代学校に上手く馴染めなかったので、勉強することで認めてもらえるのは嬉しい体験でした。
(非公開アカウント)

学歴に有利とか不利とか、便利、不便を感じたことはない。大学でやった勉強はとても有意義で、その意味で行って良かったとは思う。
(非公開アカウント)

あれば便利なもの。社会のふるい。という印象です。
瀬苳遙さん)

プロフィールのひとつ。獅子座、AB型、8月12日生まれ、未年、そんなかんじのもののひとつ。
Ash @ソシャゲ引退さん)

必要と言われ続けたのに急に程々でいいと言われるよくわからないモノ。プライドと劣等感を満たすには高ければ高いほどいい。一定の水準以上の人と関わるための交通手形だと思ってた。レールの上を走るにはもってこいだけど、多分あとでそれに囚われるし、囚われている自分のこと嫌になると思う。
さなさん)

全然考えたことなかったし、他人の学歴とか「へー」って感じなんだけど、しいて言うなら「土のなかの根っこ」。花を見るときに、いきなり土を退けて根を出さないし、ぱっと見で根は見えない。細い根も太い根も関係なく、葉っぱをつけたり花を咲かせたりする。養育者が水をやりすぎると根腐れするけど。
Yuka Yoshidaさん)

知識のないアホが無意味に有する評価基準のひとつ。「山田さん家の息子さん、●大卒らしいのよぉ〜」「あらやだぁ〜」
ねりもとさん)

子供の頃には必要性を感じなかったもの。
大人になると見えてくるもの。
さん)

①たぶん、当時自分を守るのに一番必要だったもの。
②よくも悪くも人生を邪魔してきたもの。
③負け組というレッテルを貼られないで済んだ理由。
大橋佑来さん)

勉強がすごく楽しくて、中学受験で超難関校に行ったんですけど「高学歴=幸せではない」んですよね。東大に行った同級生も幸せそうだけど、学歴よりもやりたいことを優先したわたしも幸せだからいいかなと今は思います。それを知るために勉強してたのかも!!
ホンダアリサさん)

この領域にいる人は、『努力』の基準がもはや別世界で本当に尊敬します。努力していない自分自身の絶望感がたまらないです。
アントさん)

ないと舐められる場合があるので取りましたが、あると「高学歴なのに○○もできないの」とか「学歴が高くても関係ないんだね」みたいに殴られる場合も多くなって大変になるイメージがあります。
(非公開アカウント)

生まれながらの安全と時間的余裕が約束されている。恵まれた環境が与えられている。進学できる・意思選択ができる。正常な考えの親の元で育てられ、その上で健常な身体と脳を持った子供が、学んで得た称号のこと。
(非公開アカウント)

学歴を取るために学歴を取っても意味ないのですね。よく考えて自分にとってふさわしい場所に行かないと。
僕は学歴というか、その4年間にすごく価値があると思ってるので、自分で考えて努力して手に入れた環境なら楽しめると思います。
ポッターさん)

これ難しい。確かに東大卒の父親は「東大行っても意味ないよ」。東大卒の従姉達は「子供に同じ受験教育はさせたくないな」と言う環境で育ち、私自身は10年間女子校だったのだけれども、何のために勉強するか理解した上で、もっと教養を身につけておけば良かったと今では思うのです。
白鳥桃子さん)

わたしは昼間アルバイトをしながら定時制のデザイン高校卒。夫は親の援助のもと下宿して芸大卒。学歴は見る人で変わるバッヂ。
二見ヶ浦ちゃん®さん)

「どの宗派に属しているかを示す記号」ですかね……。大卒をありがたがる宗派もあれば学歴を気にしない宗派もある。
三兎群青さん)

学歴については一定期間内で成果をどのくらいあげれるかの一種の証明だとと思ってます。限られた時間の中で頭のいい大学に行ってる人はすごいな、努力できる人だなと思いますし。就職活動でも学歴が重視されるのは、そういったことを知る指標になるからかなーとも。
橘果実さん)

あっても困らないもの。
(Facebookで頂いた意見)

現時点で、学生時代までを支配している正義。例えばもし今後戦争になったら国への忠誠が、信用スコアが発展したとしたら信用が正義になるんだろうなあ、と思います。
(Facebookで頂いた意見)

学歴は個人を表現する無数のタグの1つと考えています。日本における現時点での「学歴」は、既存の枠組みのなかでうまくやれる度合いを表しているかなと思います。
(Facebookで頂いた意見)

以上になります。

様々な立場から様々な意見がありましたが、比較的共通していたのは「学歴=他者からの評価を変えるもの」というところでしょうか。

ぺんかわ個人の考えとして「学歴がなくて困ったことはない」と冒頭に書きましたが、一方で「高学歴のひとは凄い」という気持ちもやっぱり持ってはいます。なんだかんだ言っても「入試に合格する能力」「卒業のための単位を揃える能力」の証明には間違いありませんし、僕みたいなタイプが頑張って勉強をしたところで、それを得るのはたぶん無理でしょう。自分にできないことをやっているひとはみんな凄いです。

でも「高学歴のひと=凄い」が成り立つからといって「高学歴ではないひと=凄くない」が成り立つわけではない、とも思います。ひとの凄さってもっと色々種類があるじゃないですか。

「君は高学歴なんだね。凄い」「君は甲子園に出たのか。凄い」「君は絵が上手ね。凄い」「君はルックスが良いねえ。凄い」「君は優しいひとだね。凄い」etc…。どの凄さにも優劣はないと思うので、そのなかのひとつだけを切り取って「これを持っていないひとは凄くない」という使い方をするのは、やっぱりちょっと勿体なく感じます。

個々のひとを測る時に、いろいろな物差しを当てられるようになっていきますように。
もっと言えば、そのひとがいちばん良く見える物差しを探す余裕を常に持てますように。

まだまだご意見募集しております。
こちらのツイートにリプライいただいても、直接ご連絡くださってもOKです。

2019/1/30/辺川銀

 

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