この森でいちばん愚かな少女の話


 日差しもほとんど差し込むことがない暗くて深くて湿った森の奥で飼育している小人の餌にするためのキノコをカゴに集めていたら、向こう側から泣きべそをかいてとぼとぼとこちらに歩いてくるいばらの姿を見つけた。服は汚れているし膝小僧なんか真っ赤に擦りむいていてすごく痛そうだった。いばらは確か先月の雨の日によそから来た若い男に連れられてこの森を出て行ったはずだ。こんなじめじめした森からはおさらばしてニンゲンの世界で暮らすのだと得意な顔で言い捨て森を後にしたのだ。そのいばらがこうして泣きながら戻ってきたので、ああ今回も駄目だったんだなと私は呆れて笑った。
 私たちはニンゲンと同じ姿形をしているがニンゲンではない別の生き物だ。なのでニンゲンに連れられて行かなければこの森の外に出ることが出来ない。そうやって森の外に出たとしても、三年以内にニンゲンとはぐれたり捨てられたり嫌われたりしてしまった場合にはこの森に帰って来なければいけない。そういう決まりなのだ。ただし森を出てから三年のあいだニンゲンとはぐれずに生活することが出来れば、ニンゲンになることが出来る。いばらはこの森の中でいちばん可愛い見た目をしているので連れて行こうとするよそ者のニンゲンは後を絶たなかったし、いばら自身もニンゲンの世界で暮らすことをずっと望んでいたので、いばらはこれまで何度も森の外へと出た。そしてそれと同じ回数だけ酷い目に遭って捨てられ、森に戻ってきた。

 どうしていばらがいつも失敗するのか私は知っている。いばらはニンゲンの嘘を簡単に信じてしまう性格で、それがいけないのだ。ニンゲンが嘘吐きな生き物だというのはこの森の者だったら誰でも知っている常識だというのに、いばらは馬鹿だからニンゲンたちの甘い言葉を真に受けて簡単に言いくるめられてしまう。そして毎回、決まって痛い目を見て泣きながらとぼとぼ森に帰ってくるのだ。そのくせ反省することもないから、次にまた、甘い言葉を吐くニンゲンが現れたら、同じ手口でころっと騙されるのだ。
 じゃあどうしていばらはこんなに簡単にニンゲンなんかを信じてしまうのだろう。それも簡単だ。いばらは信じることに飢えているからだ。優しくされることに飢えているからだ。お腹が空けばなんでもいいから食べたくなるのと同じだ。たとえば死ぬほどお腹が減った時に食べられそうなキノコが目の前にあったら、毒があるかもしれなくたって、多くのひとが口に運ぶだろう。食べられるキノコなら良いなと思って、きっと誰もが手を伸ばすだろう。それと同じなのだ。いばらは信じたいのだ。騙されるたびに信じたくなるのだ。それはお腹が空くのを防げないのと同じで、いばらにとってはどうしようもないことのだ。正しいとか正しくないとかは二の次三の次だ。信じたいものをいばらは信じるのだ。本当のことではなく、本当だったら良いなっていうことばかりを、いばらは信じるのだ。
 どうしていばらがいつも失敗するのか私は知っている。それをいばらに言ってあげたことは、これまで一度もない。

 膝を擦りむき泣きながら森に戻ってきてからわずかに数日後、いばらはまた他の男のニンゲンに連れられ森を後にした。どうせまた不幸になって酷い目に遭って帰って来るんだろうなあと思ったが私はいばらを制止しなかった。けれどいばらは帰って来なかった。三年経っても再び森に戻ってくることはなかった。よもや死んでしまったかなとも思ったが、噂によると念願かなってようやくニンゲンになりどこかで幸せに暮らしているのだという。
 私は悔しく思った。どうせまた酷い目に遭いいつものように泣きながら帰って来るって私は信じていたのに裏切られたような気分だった。そしてその時、私は気が付いた。私はいばらが不幸になることを望んでいたのだということに気付いた。本当のことではなく、本当だったら良いなっていうことばかりを信じ込んでいたのは、私も同じだった。
 

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