雨垂れのミドリ

(停留所でバスを降り携帯電話を見たらあと十分で迎えに来るというメールが届いていたから、私はその場で傘を広げてさした。目の前を通り過ぎていく姿勢の良い若い母親と。五歳ぐらいの幼い男の子を見かけた。高いハイヒールを鳴らし振り向くことなく速足にカツカツと歩いて行く母親の後を一生懸命小走りに追いかけていく男の子の姿を眺めながら、私は自分の子ども時代を思い出し彼の幸せを願った。親子の姿が見えなくなると私はポケットの中から音楽プレイヤーを取り出し掌の中で二度三度ボタンを弄った。耳に繋いだイヤホンからクラシックピアノの音楽がゆったりと流れ始めた。小さな頃にお母さんの趣向で半ば無理やり習わされていたから、ピアノの音が私はあまり好きではないのだけど、どうしてだか時々、無性に聞きたくなる。傍にあった自動販売機に小銭を三枚入れて缶のジュースを買った)

 子どもの頃、私は喜んだり悲しんだり怒ったり安らいだりすることがあまり得意じゃなかった。何故なら私が笑顔や泣き顔を見せると、お母さんは決まって私のことを怒鳴ったり叩いたり髪の毛を引っ張ったり、気まぐれにぎゅっと抱きしめてくれたりとかしたから。そんなお母さんの気まぐれが私にはずっとすごく苦しかった。だから私は早いうちから自分の気持ちを他のひとの前で顔や声に出さずコントロールして押さえつけるということを覚えた。小学校に入学しお母さん以外の他者と関わる機会が増えてもその癖は変わることがなかった。

 私には自分の部屋が与えられており物心ついた頃から毎晩そこでひとりで眠っていた。私にとって夜というのはひとりで過ごし誰とも口を利かない寂しい時間だった。でもある時期からどこからともなく六人の友だちが現れ、私の部屋に勝手に住みつき共同生活を営むようになった。彼らは白雪姫に出てくる小人みたいにそれぞれ違った表情を持ち色違いの洋服を着ていた。彼らが現れ暮らし始めたことについてどういうわけか当時の私は不思議に思わなかった。彼らは夜な夜な私の周りを囲い私の話をたくさん聞いてくれた。彼らはよく泣き、時には憤り、それからよく笑った。彼らとの暮らしは私にとって居心地の悪いものではなかった。何より彼らはひとりを除いて私に優しかった。彼らの姿は私以外の誰にも見ることができなかった。私は彼らのひとりひとりに名前を付けて呼んだ。彼らと喋ることが出来るのは私だけだったし、私ときちんと喋ることができるのも彼らだけだった。

 中学時代を経て高校に進学する頃になると私は彼らの存在にどうしようもない嫌悪感を感じるようになった。部屋の中から追い出そうと試みたことも一度や二度ではなかった。今となってはどうしてあんなに彼らを嫌えたのか思い出すことができない。もしかすると彼らに対する反抗期のようなものだったのかもしれない。だが追い出しても追い出しても彼らは帰って来て、影法師のように私の近くに居た。彼らは優しかった。やがて私が部屋の外でも友だちを作れるようになり、遊び疲れて帰宅するようになっても、彼らが私に会話を強要することはなかった。ベッドに横たわる私に、布団をかぶせてくれた。

(停留所でバスを降り携帯電話を見たらあと十分で迎えに来るというメールが届いていた。私はその場で傘を差しピアノ音楽を聴きながら缶のジュースを飲んだ。ちょうど十分経った頃になると道の向こうの方から、水たまりをぱしゃぱしゃと踏みつけながらこちらに駆けてくるレインコートの姿を見つけたので、私は嬉しくなり、楽しくなり、アハハ、と声を上げて笑った)

 私の部屋には六人の友だちが一緒に暮らしていた。彼らは優しかったし憎んでも追い出そうとしても影法師のように私の近くに居た。彼らの姿は私以外の誰にも見ることができなくて私は彼らのひとりひとりに名前を付けて呼んだ。けれどある時彼らは突然煙のようにどこかに消えてしまって、私の前に二度と現れることはなかった。彼らがどこかに消えてしまった時、私は悲しかったが、もう寂しくはなかった。
 

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