ゼロ歳記14.子どもにとって勉強とは

 子ども時代の僕は勉強が嫌いだった。勉強とは楽しくないもの、それでいて強制的にやらされているものだと認識していたから。中学生の頃はそれを理不尽だと思った。「なんで勉強しなきゃいけないんですか?」と周囲の大人に訊ねた。「納得のいく答えがみつかるまで一切勉強しません」と宣言した。試験も全部白紙で提出した。

 結果的にはその経験そのものが僕自身にとって大きな勉強になったのだが、それはそれでまた別の話。当時の僕にとって兎に角勉強は嫌なものだった。
 
 七月になり娘は生後三ヶ月を迎えた。首が座りつつある。うつ伏せにして置いてあげると自力で頭を持ち上げようと頑張る。頭を持ち上げると仰向けのときとは違った景色が広がるからか嬉しそうにしている。絵本が好き。テレビが好き。外へ散歩に出掛けることが好き。外出先では風になびく植物の緑色が特に気になる様子。家にはあまりない色だからだろうか。

 ものを掴んで喜ぶ。掴んだものから音がすればなお喜ぶ。言葉にならない声を出し続ける。音が出ることが楽しそう。発した声に返事があればいっそう楽しそう。「いま自分のこの身体に何ができるのか。どんな機能があるのか。何ができるようになるのか」そういったことを常に探求している。新しい発見があれば嬉しそうにしている。頑張った末にできることが増えれば楽しそうにしている。

 娘を見ていると、学びというのは、勉強というのは、きっと本来遊びであるべきなんだろうな、と思う。
 


 

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