夏のジェード

 眠りから覚めると身体が怠くて起き上がることが出来なかった。まるでベッドに根を張ったみたいに身体が重たくて上手に動かせない。おおかた風邪でも引いてしまったんだろうな。五月に入ってからというもの身体の具合があんまりよろしくない。湿気や暑さに悪影響を受けているんだろうか。そういえば昨夜も頭が痛くて就寝前に頭痛薬を服用した。期末試験まであまり日にちがないので早く体調を整えなくてはいけない。カーテンの隙間から漏れだしてくる朝日が腕とか肩に直接あたりとても気持ちが良い。今日は学校を休んでこのまま再び眠りに落ちてしまおう。ぼんやりとした頭で、わたしはそういうふうに考え、再びまぶたを閉じた。

 わたしのパパには大きな夢があった。宇宙船のパイロットになるのがパパの夢だった。だから独身時代のパパは気が遠くなるような勉強とトレーニングを重ねて、宇宙船に乗るための難しい試験を何度も受験した。にもかかわらずパパは試験に合格しないまま二十六歳を迎えた。その試験には二十五歳以下でなければ受けることが出来ないという決まりがあったので二十六歳になったのと同時にパパの夢は破れた。なのでパパはその五年後に生まれてきたわたしに自分の夢を託した。パパにとってのわたしの可能性は二通りしかなかった。期待通りの大切な娘。期待外れの不要な娘。そのどちらかだった。もちろんパパは前者であることをわたしに対して求めた。わたしはパパに見放されたくないと思ったので期待通りの娘になれるようにいつも努力をした。
 
 幼い頃。ママはわたしが布団に入ると絵本を読んでくれた。絵本は毎日違うものだったが中でもある物語が強く印象に残っている。魔法使いの老人が町のひとびとを次々と植物に変えていってしまうという筋書きの物語だ。弱い者いじめばかりしていた男の子は柳の木にされた。町の誰からも尊敬されていた医者はガーベラの花になった。多くのひとに迷惑をかけた泥棒は背の高いヒマワリに変わった。親孝行な女の子は水面に浮かぶ大きなスイレンに変化させられた。魔法使いはそうやって町のみんなを植物にしてしまった。善人も悪人も区別なく魔法にかけられた。
 
 わたしは今年から高校生になった。そして入学後の健康診断で腰の骨に生まれつき小さな穴がひとつ空いているということが判明した。骨に刻まれたこのピアスホールほどの穴は地球の上で日常生活を送る上では特に何の障害にもならない。けれど宇宙船のパイロットを目指す上では致命的なものだ。宇宙船の操縦席では腰に大きな負担が掛かるので、その腰の骨にこのような穴が空いている場合は、試験を受ける許可さえ下りないと定められている。つまりわたしはパパにとって生まれながらに期待外れな子どもだったのだ。事実この診断結果を受けたパパはわたしに対して大きく失望した。パパはわたしを必要としなくなった。
 
 再び眠りから覚めたのは昼下がりになってからだった。やはりベッドから身体を起こすことが出来ない。それどころか指先さえもまったく動かない。さすがに不思議に思えてきたわたしは硬直してしまった自分自身の身体を注意深く観察した。すると昨日までは確かに、わたしの四肢だった部分が、今では腕や脚ではなく、柔らかい蔦のような植物に変化しているのだと気付いた。どうやら小さい頃に読んでもらった物語の登場人物と同じように、わたしの身体は何らかの植物になってしまったらしい。もしもわたしのこんな姿を見つけたらパパは果たしてどんな表情をするだろうかと想像したのだけど、どういうわけか記憶に靄がかかってしまったみたいに、パパがそもそもどんな顔をしていたのか思い出すことがさっぱり出来なかった。植物になってしまったのだからパパのことなんてもうどうだって良いのだ。そういうふうに自然と考えられた。わたしはなんだか安心してしまい、それからもう少しだけ眠っていようと思った
 

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