ジムノペティ

 群青色の町には群青色の空があり大通りには、黄色い街灯が等間隔で正しく点いている。家々の窓からも灯りが漏れているが、ひとの気配はなく、実際のところ此処の町にはひとなど暮らしていない。群青色の町はひとの暮らす街を模した偽物の町だ。ぼろぼろぼろのコートを翻して、おれは通りを歩いていた。交差点の真ん中で立ち尽くしている赤毛の少年を見つけた。赤毛はおれと同い年ぐらいだろう。「お父さんを待ってるんだ」と赤毛はおれに言った。「迎えに来るからここで待ってろって言われた。だからぼくはお父さんを待ってるんだ」赤毛の笑顔はふわりと柔らかかった。群青色の町はひとの暮らす街を模した偽物の町だ。要らなくなった子どもを親が捨てる町だ。お前のお父さんは来ないよ。とおれは赤毛に言った。「なんでそんなこというの」赤毛はおれをキッと睨みつけた。表情の豊かな子どもだと思った。「ぼくのお父さんは約束を破ったりしないよ。何も知らないくせに、お父さんを悪く言わないでよ!」赤毛は甲高い声で叫んだ。おれは短い溜め息を吐き、それが本当なら良いよなと心の中だけで思った。

 群青色の町には群青色の空があり大通りには、黄色い街灯が等間隔で正しく点いている。憎たらしい空を見上げながらおれは口元を手で抑え二度、三度咳き込む。群青色の町は要らなくなった子どもを親が捨てるための偽物の町だ。家々の窓からも灯りが漏れているが、実際に現在、この町に居るのは、おれとあの赤毛の、たったふたりだけだ。一時期にはもう少したくさんの子どもたちがここで暮らしていた。歳上の子どもも居たし歳下の子どももいたがみんないなくなった。新しい仲間が増えることも年々少なくなった。寂しくないわけじゃないが、ここに新しい仲間が増えなくなることは大いに喜ばしい。ぼろぼろのコートを翻して、おれは通りを歩いた。群青色の空気をおれは大きく吸い込む。ぱたぱたと足音がしたので後ろを振り返ると、さっきの赤毛が居た。「さっきはあんなに怒鳴ってごめんね」と半べそをかきながら言った。気にすることでもないさとおれは短く溜め息を吐きながら笑った。

 群青色の町には群青色の空がある。群青色の空には昼も夜もない。お前のお父さんはどういうひとだったんだ?とおれは赤毛に尋ねた。「お父さんは優しいひとだよ」と赤毛はおれに言った。「ピアノの名人でみんなに好かれていたよ。綺麗な曲をいっぱい作ったんだ」赤毛は父親について誇らしげに喋った。「それでお父さんがピアノを弾くひとだからって理由で、ぼくもまた毎日、ピアノの練習をしなければいけなかったんだけど。ピアノの練習をするときだけお父さんはぼくにすごく厳しくした」群青色の町の大通りには黄色い街灯が等間隔で正しく灯っている。ここは要らなくなった子どもを親が捨てる町だ。「だけどそれ以外は、すっごく優しかった。だからぼくはお父さんのことがとても大好きなんだ」笑顔はふわりと柔らかかった。本当に迎えに来てくれば良いのにな、と、おれは心の中だけで思った。

 コバルトの雪が降った。赤毛がこの町に来てから幾らか経っていた。コバルトの雪というのは群青色の町の中でも最も怖れなければいけないもののひとつだ。見た目は非常に綺麗だ。群青色の空から、群青色の塵がひらひら舞い落ち始める。群青色の町は要らなくなった子どもを親が捨てるための偽物の町だ。コバルトの雪は見た目は綺麗なのだが、吸い込みすぎると肺がやられてやがては死に至る有害で残酷な毒だ。捨てられた子どもが大人になる前に殺してしまうためのものだ。この町を造った奴は恐らく、捨てた子どもが大人になり、やがて復讐されることを酷く怖れたのだろうとおれは想像する。コバルトの雪は町中を覆って逃げる場所などない。おれはぼろぼろのコートを脱ぎ、赤毛の頭に被せた。これを被っていろ。絶対にこの塵を吸っちゃだめだぞ。「君は」おれは慣れているから全然平気なんだよ。「ねえ」赤毛はべそをかいていた。「ぼくは君のことが好きだよ。君がいてくれれば、お父さんが迎えに来なくても僕は構わないよ」馬鹿なこと言うなよ。被せたコートの上から赤毛を抱きしめた。きちんと待っていろよ。お前のお父さんは約束を守るんだろう?コバルトの雪は長く降り続けた。

 群青色の町には群青色の空があり大通りには、黄色い街灯が等間隔で正しく点いている。家々の窓からも灯りが漏れているが、ひとの気配はなく、実際のところ此処の町にはひとなど暮らしていない。群青色の町はひとの暮らす街を模した偽物の町だ。コバルトの雪が止んだ頃、赤毛の父親が町を訪ねてきた。父親は息子と同じ赤毛で、肩眼鏡を掛けてシルクハットを被ったいかにも上品ないでたちの紳士だった。父親は息子の姿を見つけるや否や、すまん、すまんと何度も謝った。会えて良かったな、と、おれは赤毛に言った。父親と再会した赤毛は笑顔だったのでおれは心の底からふたりを祝福した。「またいつか会おうね」と赤毛はおれに言った。父親に連れられて赤毛は町を去った。群青色の町には群青色の空があり大通りには黄色い街灯が等間隔で正しく灯っている。ひとりになった後で、おれは何度も咳をし、血を吐いて倒れて、もう二度と立ち上がることはできなかったが、悔しいばかりでもなく、こういうのも悪くはないよなと心の中だけで思った。

 

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