機械の王国

 ここはね。機械の王国だったんすよ。
 遠く遠く高い青空に入道雲が被さり、渇いた砂を風が巻き上げて、あとは僕が居て、その他には何も動くものがない廃墟の一角に座って。
 ここはね。機械の王国だったんすよ。ここは機械の世界で、全部が機械で出来てて、それはもう立派に繁栄して栄華を誇っていた。そんな国だったんです。
 かつて銀色やコバルトブルーに輝いていた背の高いビルの残骸たちは、世界で一番背の高い王国の一部だったのだが、今ではもう、ずいぶんくすんだ色に変わって、見る影もなく錆びて脆くなり、風がひとつ吹くたびにボロボロ崩れていく。それに伴って高さは少しずつ奪われ、平坦な砂漠に、これから何百年、或いは何千年かの時間を掛けて飲み込まれて、消えていくのだろう。
 ここはね。機械の王国だったんすよ。ここは昔、機械の王国で、今はもう滅びてしまったから、砂混じりの風が吹き荒れるばかりの廃墟になってしまったけど、機械の王国ではなくなってしまったけど、だけど本当にここは王国でした。ここは機械の王国でそれはもう立派な国だったんですよ。
 強い風は常に細かな砂を乗せて吹きます。僕の身体もビルや機械の亡骸たちと同じようにすっかり錆付いてるから、徐々に風化して形を失っていく。ここはね。機械の王国でした。

(あたしは暗い部屋の中に居る。あたしの髪は今どれくらいの長さなのだろうか。この部屋の明りは豆電球がひとつあるだけだ。鏡もないので今の自分の姿が分からない。それでもあたしが生きてる限り髪は伸び続ける。もう何年も部屋から出ていない。もう何年も誰にも会っていない。暗いこの部屋は鉄とオイルと回線の焼ける匂いだけしかしない。あたしはここで機械を組み立てる。電池と金属と配線を組み合わせて、動く機会を延々と作り続けている。どれだけの時間そうしてきたのか思い出すことは出来ない。誰もこの部屋に入って来たりはしない。もう何年も何も食べていない。もう何年も何も飲んでいない。あたしの身体はもう、とっくの昔にあたし自身が、モーターと電池で動くように改造しちゃったから、それでも生きていられる。あたしの身体の半分以上は既に機械になった。それでも髪はずっと伸び続けている。あたしの髪は電気を通すので、毛先を少し切れば配線に使うことが出来て、あたしはそれで機会を作り出す。気が遠くなるほどの時間を、外に出ることなく部品を組み立てて、色々な動きをする無数の機械たちを生み出すことをしながら、自分の身体も幾度となく改造して、あたしはもう、どれだけの時間をこの暗い部屋の中に居るのか)

 全盛期の話とかするとね。ここは機械の王国だったんすよ。銀色やコバルトブルーのビルやら塔やらタワーやらが、五十六十とそびえ立ち、それはその頃僕の知る限りでは確か世界でいちばん高く立派なビル群だったんじゃないですかね。心を持った奴、持たない奴、心を捨てちまった奴、それを拾った奴と、無数の機械たちが行き交い、お互いに直し合い壊し合ったり記録を交換し合あったりバックアップ取ったりしながら王国は少しづつ育っていき、巨大な王国でみんなが機械でした。あの青い空には車が走りっていて、この強い風は全て風車で電気に変えたりして、優れた科学力を持った機械たちが暮らす機械の王国だったんすよ。
 機械の王国にはたったひとりだけ機械ではないひとが暮らしていました。そのひとは女のひと。女のひとといっても、身体の半分ぐらいは機械に改造されてしまっていたけど、それでも人間でした。彼女の髪はとても長くて電気を通しました。そして電器の通す彼女の髪は国中に張り巡らされていました。だから彼女はこの国の女王だったわけです。機械ばかりが立派に暮らしていた、あの素晴らしく豊かな王国の女王は人間だったんです。国の機械は女王の髪から電気を受け取っていたので、僕らはみんな女王の考えることをいつでも知ることが出来た。女王は僕らの生みの親でもあった。女王は僕らをすごく愛してくれた。だから僕らも女王を愛していました。
 立派な王国だったんすよ。たったひとりの女王は人間だったので、機械ばかりのこの国の中で誰よりも弱くて、情けなくて、泣き虫だったんだけど、僕らはそんな女王のことを愛していたんです。愛すべき女王でした。ここは機械の王国だったんすよ。

(この暗い部屋の中で、あたしは何年もひとりで、機械を組み立て続けた。この部屋に入って来るひとなんか誰もいなかった。無数の機械で武装されているこの部屋に入って来れるひとなんか誰もいないだろう。この部屋は真っ暗で何も見えないけど、自らの身体の半分以上を機械に改造したあたしは、もう明りなんかなくても生活することが可能だ。今のあたしはどんな姿だろうか。外で暮らすひとびとは今のあたしを見て、今のあたしの生活ぶりを見て、不気味に思うだろうか。それとも怖れるだろうか。トントン、と、誰かが扉を叩く音が聞こえた。誰だろうか。或いは空耳だろうか。トントン、トントン、小さく、そして遠慮がちな様子で、誰かがこの部屋の扉をノックしているようだ。これは現実だろうか。何重もの電子ロックで施錠された鋼鉄製の扉を、誰かが叩いているのだ。やめろ。近寄るな。誰も入って来るな。今のあたしはもう化け物なのだ。あたしは機械で出来た兵士たちを、秘密の裏口から扉の外へと向かわせ、外側に居るかもしれない誰かを追い払おうとしたけど、ノックの音はそれでも止むことがなかった。扉の向こうの誰かは、決して乱暴にドアを破ろうとはせず、ただノックするだけ。帰れよ。私は声に出した。ノックをやめて帰れよ。ここから居なくなってよ。醜いあたしはここを出たくないんだ。どんどん醜くなっていくあたしはもう手遅れだからここを出たくないんだ。だからこのあたしを、この部屋の外の光に曝そうなんて考えたりはしないで、はやく居なくなれよ! この髪はもうどれくらいの長さなのか、あたしは知る由もないのだ。誰もここに来るな! あたしはあたしの作りだした無数の機械に囲まれ、叫び声を上げた。誰もここに来るな! 誰もここに来るな! 誰もここに来るな! あたしを放っておいてよ!)
   
 ここはね。機械の王国だったんすよ。
 ここは機械の王国だったんだけど滅びてしまったんです。巨大な塔も、銀色とコバルトブルーが降りなした幾何学的で美しい町並みも、機械たちも、今ではみんなボロボロに錆付き、風が吹くたびに少しずつ崩れて、形を失くして行きます。まだ辛うじて意識を保って動けるのは、僕一体だけです。
 だけど僕はそれで良いんですよ。
 ほら。入道雲が青い空を滑ってこちらにやって来るでしょ。あと少ししたら、あの雲はこの土地に雨を降らすわけです。ここは砂漠なのに雨も降るんですけど、雨ってやつは機械にとって大敵なんですよ。次に濡れたらいよいよ僕も壊れてしまうかも。だけど僕らはそれで良いんです。 
 この王国が滅びた理由ですか?機械の王国が滅びてしまった理由はすごく単純ですよ。なにせ王国ですから。王が居なくなれば、それで滅びるんです。女王が居なくなったから国は滅びたんです。機械の王国だったこの場所には無数の機械が平和に暮らしていました。機械たちはみんな女王を愛していた。女王はこの王国の誰よりも弱くて情けなくて、唯一の人間でした。
 ある日、女王は突然、この国を飛び出し、それであっけなく王国は終わってしまいました。
 だけど僕たちは誰ひとりとして女王を恨まなかった。
 何故なら女王は電器を通す髪の毛を国中に張り巡らせてたから、僕らは女王が居なくなる寸前まで、女王の気持ちや考えを全部理解することが出来た。この王国を置き去りにして外に出て行く時、あの女王は、すごく、すごく大きな、勇気みたいな何かを、振り絞っていました。王国の中で誰よりも弱くて、誰より愛された女王だけど、この国を出て行ったあの日だけは、誰より強い心を持っていました。
 だから僕らは女王が居なくなっても、少しも悲しくなかった。僕らは正しく役割を終えたんだと、すべての機械がそれを受け入れ、女王を祝福しながら、王国は終わったんです。幸せな気持ちで。
 そんなわけです。さあ。
 そろそろ、最後の雨が降ります。
 

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