ゴミ捨て場の女王

 何十年も前に海を埋め立てて造られたのだという現在は寂れて静かな港町を学校帰りに僕はひとりで歩いた。晴れた五月の日差しは温かくて空を行き交うカモメたちの影がアスファルトで舗装された地面の上を何度も行き来していた。ボゥーッという霧笛の音が聞こえたので海の方に目を遣ると白い大きな客船が一隻水平線の向こうへ消えていくのが見えた。巨人のような三台の風車が潮風を受けながらゆっくり回転していた。コンテナ置き場の区画へ差しかかるといよいよひと気はなく、赤錆のついた青や薄緑の海上コンテナたちが積み木のように幾つも積まれていた。更に歩き続け立ち入り禁止の張り紙が張られた鉄条網をよじ登り乗り越えると、そこにはもう今は使われていない廃墟になった大きな倉庫があり、そしてその横にはおびただしい量の割れた青い貝殻や木屑や金属片がうずたかく積まれた、廃棄物置き場があった。潮の匂いがした。

 休み時間の度に図書室へ行き本を読んでいた、銀の眼鏡を掛け綺麗な横顔をした物静かなあの子は、四月になって学年が上がるとそれ以降いちども学校に来なくなってしまった。はじめのうちはただの風邪だろうとみんな思っていたけど、欠席日数が三週間を超えた頃になるとあの子が学校に来ない理由についてのある噂話が誰からともなく飛び交うようになった。噂話によると、彼女は学校を休んで王国を作ったのだという。港のコンテナ置き場の先にある廃墟になった立ち入り禁止の倉庫で、あの子はひとを集め、自分だけの王国を築き上げ暮らしているのだという。

 結論から言うと噂は本当だった。潮風に晒され続けべったりとした倉庫の扉は重たかったが鍵が掛かっておらず体重を掛けて押せば簡単に開いて中に入ることができた。倉庫の中に入るとそこには何十人もの男の姿があった。男たちは全員緑色の服を着ていて十代の若者も居れば四十前後の中年男性も居た。男たちはぐるりと円を作り何やら宗教的な踊りを踊っていた。男たちが囲む円の中心には半壊した天井から差し込む日差しが白く投影されており、そこにはあの子が椅子に座っていた。「ここは彼女の王国でふたつのルールがあります」いつの間にかすぐ隣に立っていたひとりの背の高い男が掠れた声で僕に説明した。「ひとつ目のルールは彼女を愛すること。ふたつ目のルールは彼女に何をされても文句を云わないことです」やがてあの子がすっくと立ち上がると男たちは皆彼女に跪き祈りのポーズをした。女王の彼女は銀の眼鏡を光らせ恍惚とした表情で男たちが取り囲む円の中をとんとんと歩き回った。そして跪いている男たちのうちの若いひとり前でぴたりと立ち止まると、その頭を、履いていた靴の爪先でサッカーボールのように思いきり蹴り飛ばしたのだった。蹴り飛ばされた男の頭はパリンと高い音を立てて粉々に砕け散り残った身体は地面に倒れ動かなくなった。それでも他の男たちは跪いたまま彼女に祈り続けた。どこからともなくやって来た三人の女たちが、壊れた男の身体の破片をひとつひとつ拾って袋の中に詰め込み、倉庫の外へと運んだ。三人の女はいずれも青い服を着ていた。少しすると外の廃棄物置き場の方から、カランカランと乾いた音が聞こえた。

 あの子がまだ学校に来ていた頃に僕は三度だけ彼女と言葉を交わした。はじめて口を利いたのは去年の暮れのある日曜日で予約していた新刊の小説を駅前の書店へ受け取りに行った時の出来事だった。あの日買った小説は数年に一度の話題作とされていて発売日に手に入れるには予約が必要だった。僕は予約票を持って開店前の書店に出向いたが、予約客だけでさえ長い行列が既に出来ており並ぶ必要があった。あの子はその行列で僕よりもひとつ前に並んでいた。それが一度目だった。二度目に話をしたのは翌日の学校で僕らは先日買った本の感想についてお互い意見を交わした。そこまで分厚い本ではなかったこともあり僕も彼女も既に読み終えていた。確かに面白かったが期待していたほどではなかったというのが共通の見解だった。それからまたしばらく口を利くことがなかったが三月になりあの子の誕生日がやって来ると、僕は意を決して三たび彼女に自ら話しかけた。誕生日プレゼントです、と言って、青い貝殻の首飾りを彼女の手に渡した。彼女は目を丸くし数瞬戸惑ったが、やがて口元を緩め、ありがとうと言い僕に笑ってくれた。僕はそれがとても嬉しかった。そしてそれが、僕があの子と話した最後だ。学校が春休みになり、新学期が始まると彼女はもう学校に来なくなってしまった。

 王国の外に出ると潮の匂いがした。廃墟になった立ち入り禁止の倉庫の横にはおびただしい量の割れた青い貝殻や木屑や金属片がうずたかく積まれた廃棄物置き場があり、先ほどあの子に蹴り砕かれた若い男の身体の破片もあった。僕はいちど深呼吸をした後、その廃棄物の山の中に両手を思いきり突っ込み、掴んだものを次々と背後に投げ捨ててながら、奥の方へと掘った。二時間ほどを掛けて廃棄物の山に穴を空け深い場所まで掘ると、そこにはひびのはいった、この僕とまったく同じ姿かたちをした身体が、目を閉じ両手を胸で組んだ格好で廃棄されていたのだった。僕は叫び声を上げた。何度も何度も絶叫しながら、目の前にある自分と同じ姿かたちをした身体を、何度も何度も蹴った。僕と同じ姿かたちをしたその身体はあっという間に粉々に砕け散り青い破片になった。晴れた五月の日差しは温かくてどこかで船が霧笛を鳴らしていた。

 倉庫の中の王国をふたたび見てみるとあの子は依然として自分を崇拝する男たちを踊らせ、祈らせ、気にくわない物から蹴り砕くという行いを延々と繰り返しては恍惚と笑っていた。僕はその様子を遠巻きに眺めながら彼女はもう帰ってこないと思った。あの子は女王になった。いつでも捨てられるような粗末なものばかりを身の回りに集めて、そして粗末に扱い、粗末なものばかり見ている。彼女はもう帰ってこないのだと分かった。少なくとも僕では、連れ戻すことなど到底できはしないのだと分かった。

 それから更に数週間が過ぎても、あの子はやはり学校に来ることはなかった。港のコンテナ置き場の先にある廃墟になった立ち入り禁止の倉庫は先日取り壊され、来年までには新築のマンションとして生まれ変わるのだという。








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