ヒトと機械の違いについて

 月のない夜の海に小さな舟を浮かべボクは魚を釣ります。海面の闇に糸を垂らしその先端に括った針のある疑似餌に魚が食いつくのを待っています。ボクの身体の約半分は生身のニンゲンですがあとの半分は機械でできており釣りを上手にするための複数の機能が搭載されています。それらの機能のうちのひとつを使いボクは糸を伝わる振動から海中の様子がはっきりわかります。いまも何匹かの魚がボクの疑似餌に興味を示しています。
 
 ボクが生まれ育った土地は「機械の村」と呼ばれておりそこで暮らす人々はみんな生まれたときから身体の半分が機械でできています。機械に搭載されている機能はひとりずつ異なります。ボクの場合は魚を釣るための機能が備えられています。野菜を育てる機能を持つひとや服を編む機能を持つひと食べ物を調理する機能をもつひと家を建てる機能をもつひと機械の修理をする機能をもつひとなどもいます。それぞれ個性的です。
 
 一般的にニンゲンが機械と大きく異なるのは生きる目的を持たずに生まれてくることだとされています。完全な生身のニンゲンは自分が何をして生きるべきなのかがしばしば分からなくなるといいます。機械は違います。例えば冷蔵庫は食べ物を保存するという目的を与えられ生まれてきます。例えば掃除機は部屋を掃除するという目的を与えられ生まれてきます。機械は何をして生きるべきなのか分からなくなることがありません。
 
 身体の半分が機械でできているボクらもまた何をして生きるべきなのかが分からなくなることは滅多にありません。機械の村に生まれたひとびとは生まれ持った機械の機能によって仕事が決められます。結婚相手もそうです。生まれてくる子供がより高性能な機能を持つよう計算して決められます。機械の村にはそういう計算をする機能を持ったひともいるのです。かくいうボクもこの夜が明けたら結婚することが予定されています。

 数年前の昼下がりのことです。ちょうど今ボクが釣りをしているあたりに飛行機が落ちてきました。黒い煙を吐きながら落ちてきた飛行機が海面にぶつかると空に届くほどの水柱があがりました。ボクはそのときもここで釣りをしていました。小舟を飛行機に近づけると操縦席にひとが乗っていることが分かりました。そのひとは落下の衝撃で気絶していました。飛行機は海面に浮かんでいましたが水が入り込んでいて数分後には沈みそうでした。
 
 ボクは急いで小舟を飛行機につけると操縦席に乗り込んでそのひとの身体を担ぎあげました。そしてそのひとを担いだまま小舟に戻りました。そうしなければそのひとは飛行機と一緒に海に沈んでいたからです。ボクの身体の機械に死にそうなひとを助けるための機能はありません。それでもボクがそのひとを助けたのはボクの半分が生身のニンゲンだからです。ニンゲンの部分が少しでも残っているひとであれば必ずそうするでしょう。
 
 ボクが助けたひとの名前はミヤベといいました。珍しいことに彼は完全に生身の人間でした。確かに世界は広く村の外には生身のニンゲンもたくさん暮らしています。しかし機械の村に住むひとはふだん貿易を担当する一部のひとを除き外部のひとと関わることがほとんどありません。ほとんどのひとは生身のニンゲンと一度も会うことがないまま一生を終えます。実際にボク自身も生身のニンゲンを目にしたのはこの日が最初でした。
 
 さて。ミヤベは飛行機が墜落しボクに救出され機械の村の病院に運び込まれてから約九時間後に意識を取り戻しました。彼は最初こそ飛行機が落ちたことやここが機械の村であることに驚いていましたが自分の置かれた現状をすぐに受け入れると故郷に帰るための新しい飛行機の製作を村の製作所に依頼しました。ただし飛行機が完成するまでには一ヶ月ほどの時間を要します。それまでのあいだ彼は村に滞在しました。
 
 ミヤベは好奇心が豊かな人物でした。滞在中は機械の村のひとと積極的に関わりました。あるときはキャベツ畑を訪ねて収穫を体験していました。あるときは郵便配達を手伝いました。製作所を訪ねて飛行機作りにあたる技術者たちをねぎらうことも忘れませんでした。占い館では占いの機能をもつひとが彼の手相を見て生身のニンゲンのなかでも社会的地位が高い人物であることを言い当てましたが彼は少し気まずそうに笑うばかりで偉そうな感じはちっともしませんでした。
 
 ミヤベはボクの小舟にもよく同乗して一緒に釣りをしました。彼はあまり釣りが上手ではありませんでしたが何も釣れなかったときであっても楽しげにしていました。滞在日数が十日を数えると「私も少しは釣りが上手になったかな」と彼は言いました。まだまだですよとボクは答えました。「それならもっと頑張らなければ」と彼は笑いました。そして滞在日数が十五日を数えたとき「あなたは私の命の恩人だ」とミヤベは言いました。
 
「あなたは私の命の恩人だ。だから私はあなたに恩返しがしたい。あなたは機械の村の出身で、これからどのような人生を送るのかがあらかじめ決まっている。もちろんそれも素晴らしい人生だと思うけれど、もしもあなたが望むのだとしたら、私はあなたが違った人生を送れるように手助けすることができる。あなたが自分で生き方を選べるよう手助けすることができる。あなたがこれから先どうやって生きたいのかを教えてくれないか」
 
 ボクは驚きました。釣りをする以外の生き方なんて想像したこともなかったからです。自分の生き方を自分で選ぶひとなど機械の村にはひとりもいないからです。その一方でミヤベの提案にボクは興味を禁じ得ませんでした。すぐには決められないとボクは答えました。「もちろんそれで良い。飛行機が完成して、私が故郷に帰るまでに決めてくれれば良い。あなたがどういう結論を出しても、私はそれを尊重する」と彼は言いました。
 
 以降。ボクたちは毎日のように小舟の上で話し合いました。「警察官はどうだろう。あなたは正義感が強いから人助けの仕事はきっと向いている」「生物学者はどうだろう。あなたほど海の生物に詳しいひとを私は他に知らない」「ボートレースの仕事はどうだろう。あなたは舟を操縦するのが得意だ」「芸術家はどうだろう。未知の分野に挑戦するのも素晴らしい」来る日も来る日も話し合いました。それはたいへん楽しい日々でした。
 
 だけれどボクは釣りびとを続けることにします。ミヤベにそう伝えたのは彼の飛行機が完成する前夜のことでした。この半月間ボクはあなたと一緒にさまざまな選択肢を検討してきました。その結果わかったのはやはり自分は釣りが好きだということです。だから釣りびとを続けることにします。「それが君の選んだ生き方なら私は敬意を評する」と彼は微笑みました。その翌日に彼は完成した飛行機に乗って空の彼方に去っていきました。
 
 ミヤベが去ってからもボクは毎日釣りをしてきました。それは彼が来る以前の釣りよりもずっと良いものでした。みんなの目にはボクは以前と同じに見えるでしょう。それまでのように決められた人生を生きているように見えるでしょう。でも実際にはそうではありません。釣りびとを続けると彼に伝えたあの夜にボクはこの生活を自分で選んだからです。やっていることは同じでもあの夜を境にボクの人生は自分で選んだ人生に変質したのです。
 
 だから結婚の前夜にボクがこうして機械の村を出ていくことも極めて自然なことです。朝になったらみんなは驚くでしょう。今日まで決められた人生を歩んできたボクが突然豹変してしまったと思うことでしょう。だけれどボクはあのとき他の選択肢を示されながらも釣りびとを続けることを自分で選びましたしこれから村を出ていくことも自分で選びますしその先もきっと自分で選ぶでしょう。ミヤベが教えてくれたのはきっとそういうことです。
 
 月のない深夜にボクは釣糸を垂らしたまま東にむかって小舟を走らせます。ときどき疑似餌に魚がかかります。かかった魚は釣り上げて小舟のクーラーボックスに保管していきます。釣りが上手くいかなくても楽しそうにしていたミヤベの姿をぼくは思いだします。「それが君の選んだ生き方なら私は敬意を評する」と言ってくれたときの彼の微笑みをぼくは思い出します。いよいよ進行方向の空が白くなってきました。さあ。間もなく夜が明けます。

あとがき

「周囲が期待するとおりの職業についたけれど、それはたまたま自分の希望が周囲の希望と合致しただけで、今までもこれからも、自分の人生は自分のものなのです」そんなお話から生まれた作品です。

2024/09/30/辺川銀

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